此の附近の地名を「御茶屋」と呼ぶ。その故は天正の昔、城下の御茶屋の在りし処と伝えられている。亦、近くにお寝間という場所も今に残っている。 山麓からは良質の石清水が湧き出て、往時から名水として茶の湯に用いられている。 金子城主金子備後守元宅公四百回忌 |
寛政7年(1795年)1月10日、一茶は入野の暁雨館を発って新居浜の騎龍亭に泊まっている。 |
十日、二里半ほど、新浜、騎龍亭に泊。 帳閉(とづ)る加勢もせずに旅寝とは |
商家では「帳祭」といって、正月11日に、その年に用いる諸帳簿を綴じて祝う習慣があったそうだ。 |
雉子鳴やわか菜に行し縄手道 |