するする陽が しずむ海の かなたの國へ |
明治44年(1911年)3月15日、号を「柏葉」から「朱燐洞」と改める。 明治44年(1911年)4月、荻原井泉水「層雲」創刊。朱燐洞は最初から参加。 明治44年(1911年)5月、松山で「十六夜吟社」を結成。 大正7年(1918年)10月31日、朱燐洞はスペイン風邪で没。24歳であった。 昭和14年(1939年)10月5日、種田山頭火は高橋一洵らの案内で墓参。 昭和27年(1952年)10月12日、荻原井泉水は朱燐洞の墓に詣でる。 |
秋高し 鳶舞ひしずむ 城の上 |
明治28年(1895年)9月20日、子規は漱石の愚陀佛庵で療養していたが、いつになく体調がよく、この日はじめて散歩に出た。柳原極堂が一緒だった。 |
沢亀の 万歳みせう 御國ぶり |
砂土手や 西日をうけて 蕎麦の花 |