2021年愛 媛

勝山通り〜標柱の句〜
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松山市勝山町に勝山通りがある。

「勝山通り」の標柱に句が書かれている。

野村朱燐洞の句


するする陽が
しずむ海の
 かなたの國へ

 明治44年(1911年)3月15日、号を「柏葉」から「朱燐洞」と改める。

 明治44年(1911年)4月、荻原井泉水「層雲」創刊。朱燐洞は最初から参加。

 明治44年(1911年)5月、松山で「十六夜吟社」を結成。

 大正7年(1918年)10月31日、朱燐洞はスペイン風邪で没。24歳であった。

 昭和14年(1939年)10月5日、種田山頭火は高橋一洵らの案内で墓参。

 昭和27年(1952年)10月12日、荻原井泉水は朱燐洞の墓に詣でる。

勝山通りの中央分離帯に一茶の句碑がある。

勝山通りの東側には正岡子規の句が書かれている。


秋高し
鳶舞ひしずむ
  城の上

『散策集』収録の句。

 明治28年(1895年)9月20日、子規は漱石の愚陀佛庵で療養していたが、いつになく体調がよく、この日はじめて散歩に出た。柳原極堂が一緒だった。

『寒山落木 巻五』には「松山城」とある。



 沢亀の
万歳みせう
  御國ぶり

『寒山落木 巻五』(明治二十九年俳句稿 新年)所収。「萬歳」の題。

「萬歳」は伊予万歳のこと。「澤龜」は澤田亀吉。



砂土手や
 西日をうけて
  蕎麦の花

『散策集』収録の句。

愛媛県道187号六軒家石手線沿いに句碑がある。

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