十三日、槌(樋)口村などいへる所を過て、七里となん、風早難波村、茶来を尋ね訪ひけるに、已に十五年迹に死き〔と〕や。後住最明寺宿リ乞に不許。前路三百里、只かれをちからに来つるなれば、たよるべきよすがもなく、野もせ庭もせをたどりて、 朧々ふめば水なりまよひ道 |
西明寺(現最明寺)に辿りついた一茶は、西明寺十一代住職竹苑文淇上人(月下庵茶来)に面会を求めたが、既に15年前(天明元年)に亡くなっていた。 更に、ここでの宿も断られ、一茶は大いに落胆した。 茶来は、一茶の師二六庵竹阿の俳友で、一茶は茶来を頼りに西明寺を訪れた。
松山市教育委員会 |
雀の子そこのけく御馬が通る |
やれ打つな蠅が手をすり足をする |
痩がへるまけるな一茶是にあり |