明治28年(1895年)10月7日、正岡子規が鬼子母神堂から「手引松」まで歩いた道であろう。 |
かねて叔父君のいまそかりし時余戸に住みたまひしかば我をさなき頃は常に行きかひし道なり 御旅所の松、鬼子母神、保免の宮、土井田の社など皆昔のおもかげをかへずそゞろなつかしくて 鳩麦や昔通ひし叔父が家 |
明治28年10月7日、今出(いまづ)へ行く途中で詠んだ句。余戸(ようご)に住んでいた叔父は、子規の父常尚の長兄佐伯政房で、松山藩の祐筆を務めた。 この社は、加藤嘉明の松山城築城とともに松前から遷座したもので、昭和47年10月350年祭に句碑が建てられた。 『散策集』には、「鳩麦」とし、『寒山落木』で「じゅずだま」と改められた。子規自筆。
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