四国八十八か所の46番札所である。寺名は医王山浄瑠璃寺、本尊は薬師如来である。寺伝によると、和銅元年(708年)、僧行基が開山、自ら白檀の木で本尊をつくったという。 室町時代末期、荏原城主の平岡道倚(みちより)が病に苦しみ、この寺の本尊に祈願し、まもなく全快したため、土地を寄進して堂宇を建立し、深く帰依したと伝えられる。その後、正徳5年(1715年)に山火事 で建物、本尊すべてが焼失したという。 江戸時代中期、この村の庄屋井口家から仏門に入り、当時の住職になった堯音(ぎょうおん) (1732〜1820)が寺を再建したと伝えられている。堯音は、久万からの遍路道が、毎年のように出水時に流され、人々が難儀していることを知り、76歳で托鉢僧となった。各地を回り喜拾を集めた堯音は、岩屋寺あたりから順に橋をかけ、最後に立花橋をかけた。 今も、丹波橋、出口橋など、堯音がかけた8本の橋の名の幾つかが伝えられている。
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