寛政7年(1795年)小林一茶が一樹桜を訪ねて来て、この句を作ったことが、「寛政紀行」という一茶の旅日記に記されている。 エドヒガンとかとかウバヒガンといわれるこの種類は、染井吉野に先がけて咲き、その純白の花は実に見事である。同種の古木が境内になお2本ある。
西条市教育委員会
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現在、本尊としてまつられている地蔵菩薩像は、木像(材質は楠)寄木造、坐像で1丈(約3mメートル)ある。 寺伝では、行基菩薩作と言われてきたが、鎌倉時代初期の作と推定される。 厨子の扉は平素閉じていて、33年に1度のお開帳法要の時に開かれるしきたりとなっている。
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遠山と |
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見しハ是也 |
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花一木 |
寛政七年二月二十日、一茶翁松山ヨリノ帰路当山ノ桜ヲ見ント立寄リ、 遠山ト見シハ是也花一本 ト讃エ。他ニ俳句一句和歌二首ヲ詠ム。一茶翁三十三歳ノ時ナリ。尾張一宮市佐分利新右衛門氏所蔵一茶翁旅日記ノ字ヲ写シ、茲ニソノ句碑ヲ建立ス。 |
聖主峰 |
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縹渺と |
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雪 |
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新たにす |
昭和5年愛媛県生。松山市在住。元愛媛県立高校校長。 昭和22年、富安風生に師事。若葉同人、『糸瓜』編集長を経て、平成5年「櫟」を創刊主宰。 |