鍵谷カナ女は天明2年温泉郡垣生村今出に生まれ、元治元年82歳でなくなった。カナ女が絣を考案したのは18才頃で、その動機は農家のわら屋根をふき替えるとき、わら屋根を押えた竹が煤けて縄目のあとの模様が浮き出ているのを見てヒントを得た。当時は発祥地の地名をとって「今出(いまず)絣」と云われていたが、のち「伊予絣」と呼び、日本三大絣(久留米・備後)の一つとなり、全国的に広く知られ愛されている。また、お墓は西垣生町の長楽寺にあって、お寺の前には頌徳の碑堂がある。
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正岡子規の句碑があった。

花木槿家ある限り機の音
明治28年10月7日、子規が人力車で今出の霽月を訪ねた日の記録「散策集」に、「ここは今出鹿摺とて鹿摺を織りだす処也」としてこの句が、「汐風や痩せて花なき木槿垣」の句と並んで出ている。
子規句集明治28年秋の部にも、「今出村二句」としてこの両句が見え、本来、今出の地にふさわしい句だが、その地に今は機の音きこえず、機の音にふさわしい当地に昭和53年4月19日に建立された。
松山市教育委員会 |
『俳句の里 松山』
「将棋の碑」もあった。

「吹けば飛ぶような将棋の駒に…」の流行歌の主人公、阪田三吉王将の将棋人生に深くかかわった、土居市太郎日本将棋連盟名誉名人(三津浜出身)と、阪田王将の一番弟子、藤内金吾八段(南吉田出身)をしのび、二人の出身地この松山に、将棋の碑「仲良し馬」を建立する。表字「将棋の碑」は藤内門下、内藤國雄九段が筆をとる。
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平成14年(2002年)11月、日本将棋連盟松山坊ちゃん支部建立。
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