松山より新居浜へ自動車を走らす
きりしまや揚羽も寄らぬ真盛り
新居浜一宮神社境内にわが樟若葉の句碑建立さる 除幕式
碑に鐫(ゑ)りてときはかきはに樟若葉
『晩涼』 |
全国で9番目の風生句碑である。
境内の西寄りに酒井黙禅の句碑があった。

百千鳥江湖に名有る樟乃宮
昭和35年(1960年)7月17日、建立。
除幕式は黙禅も出席した。
宮涼し一百俳徒大前に 黙禅
一宮神社社殿

社殿の右手に富田狸通と前田伍健の二句一基の句碑があった。

南無三宝小女郎憑きたる桜鯛
| 狸通
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遠会釈人うつくしく誰れだろう
| 伍健
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天然記念物の一番樟に小女郎狸が棲んでいたという伝説あった。
昭和35年(1960年)2月11日、伍健逝去。
昭和35年(1960年)3月、愛申会新居浜支部の主催で除幕。
矢野樟坡の句碑

秋高し神木として一の樟
矢野樟坡は一宮神社の宮司。
昭和40年(1965年)、『ホトトギス』同人に推薦される。
昭和53年(1978年)4月1日、句碑建立。
昭和59年(1984年)、没。
子規と極堂と漱石の三句一基の句碑は、移設中ということで見られなかった。
三句一基の句碑が再建されたというので、あらためて訪ねてみた。
三句一基の句碑

童ら能蝉さし尓来る社可那
| 子規
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風に聞け何れ可先に散る木の葉
| 漱石
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樟千年神さびをはす宮の秋
| 極堂
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昭和41年(1966年)、三文人の生誕100年祭記念に矢野樟坡建立。
子規の句は『寒山落木』(明治二十九年 夏)所収。
漱石の句は明治43年の句。『思い出す事など』 「十一」にみえる。
この句は砥部町の漱石と東洋城二句一基の句碑にも刻まれている。
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