井手神社境内北側にある天満宮は松山市の天神さんとして有名なところ。祭礼には字が上手になりますようにと、子供らは競って大文字(おおもじ)の墨書を奉納した。明治30年の句。 当時自筆の「俳句稿」の所在不明のため、子規筆蹟を集字した。昭和45年建立。
松山市教育委員会 |
平成29年(2017年)4月、松山極堂会が正岡子規・柳原極堂の生誕150年の記念事業として建立。 |
子規の文友として共に学び、俳誌「ほとゝぎす」を創刊。 「松山子規会」発足等、子規の業績の顕彰に生涯を捧げる。 (付記) 昭和三十二年十月一日、右記の辞世句を書き、松尾医師に送る。 同日夕、青井嘉寿満に辞世句の行き処を「ゆく処」と伝える。(口述) 同年十月七日夜八時十分永眠する。(享年九十一才) 二神將著「子規の文友 柳原極堂の生涯」より |
松山、六歳頃の旧居のほとりなる「立花神社」にて。 炎天老婆髪はもとより爪白く
『大虚鳥』 |