2022年愛 媛

俳誌「ほととぎす」創刊の地〜子規の句〜
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明治三十年一月。柳原極堂、松山に於て『ほとゝぎす』を發刊す。
祝句。

 時雨木枯のあれあれて生(あ)れ出しもの


松山市北立花の中の川通りに俳誌「ほととぎす」創刊の地があった。


 俳誌「ほととぎす」は、柳原極堂によって明治30年(1897年)にこの地で誕生した。号を追うごとに全国で注目を集めるようになり、正岡子規にとっても「ほととぎすは余の生命なり」というほど、大きな意味を持つ俳誌に成長した。しかし、第20号をもって廃刊。その後、高浜虚子が子規の依頼により「ホトトギス」と名を変えて発刊し、現代まで引き継がれている。

 司馬遼太郎著「坂の上の雲」(文藝春秋刊)では、子規の「ホトトギス」に対する熱い思いが描かれている。

坂の上の雲のまちコース

「ほととぎす」創刊号


明治三十年一月十五日發刊

九月。『ホトトギス』を東京に移し、主宰す。発行所を神田錦町
一丁目十二番地に置く。

十月十日。『ほとゝぎす』第二巻第一号発行。


左側面に子規の句が刻まれている。


新年や鶯鳴いてほとゝぎす

『俳句稿』(明治三十年 新年)収録の句である。

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