本芳我(ほんはが)家は、制蝋業で栄えた芳我一族の本家で、内子木蝋(もくろう)の基礎を築いた家である。元文元年(1736年)から木蝋生産を始めたとされ、天保11年(1840年)に現在地に移り、大規模に経営を展開した。明治期には「旭鶴」の商標で海外にも製品を輸出し隆盛を極めた。文久元年(1861年)以降は、分家やその分家が相次ぎ、それぞれ上芳我、中芳我などの通称で呼ばれている。 建物は木蝋生産が最も盛んであった時代を背景に建築され、建物の質が良く、亀甲型の海鼠壁や鶴・亀・波などの華麗な漆喰細工など華やかな意匠は内子の街並みの中でも際立った存在である。主屋南に立つ土蔵の鏝絵(こてえ)は本芳我家の商標「旭鶴」である。主屋の背後には炊事場、産部屋、便所、湯殿が建ち、これら附属の建物や庭園など敷地全体にわたって往時の面影を伝えている。 平成15年(2003年)から平成18年(2006年)にかけて保存修理工事が行われた。
内子町 |