2018年愛 媛

法華寺〜碑巡り〜
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JR予讃線伊予桜井駅下車。

県道156号桜井山路線を行くと、法華寺(ほっけいじ)の入口に標柱があった。


別格本山 法華寺

左側面に松根東洋城村上霽月の句が併刻されている。

穂すゝきやこゝにも一つ塔の址
   東洋城

小春日や国分寺出て国分尼寺
   霽月

法華寺の石段


石段ではなく坂道を上ると、檜垣括瓠の句碑があった。


所詮空なれ登佐連とも落葉可奈
(しょせんくうなれどされどもおちばかな)

桧垣(雅一)は明治15年(1882年)11月25日、日高村高橋越智家に生まれ、清水村四村桧垣家に入る。愛媛師範卒業後教職に従い、後別宮大山積神社宮司を勤む。

若くして俳句を好み、松根東洋城主宰渋柿派に属し、同派の有力同人となる。又地方に志々満渋柿社を起し、幾多の俳弟子を育成した。

昭和26年秋、弟子ら相謀り翁の古稀を記念して、この句碑を建立し東洋城の来臨を得て除幕した。

昭和42年2月17日、87才を以て没す。

法華寺


真言律宗の寺である。

田村道子の句碑


俳諧の伊よをふるさ登十三夜

田村道子は今治の俳人。

 昭和34年(1959年)4月8日、高浜虚子は85歳で没。

 昭和35年(1960年)10月、比叡山に分骨埋葬。

   十月十四日 虚子分骨埋葬 叡山横川

はらからに深きゆかりの露の塔

叡山に時雨るゝ墓となりにけり


 昭和35年(1960年)10月、法華寺の句会で十三夜の月を眺め虚子を偲びながら詠んだもの。

 昭和44年(1969年)5月、道子を師とする六つの句会建立。

月原宵明の句碑


明け暮れをやすらぎの鐘法華寺

平成8年(1996年)4月7日、建立。

月原宵明は本名勝明。法華寺顧問。夕凪川柳社会長。

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