純友が駒を立て沖を見たと伝へられる駒立岩は、現在地より西北30米の田の中にあったが、土地造成中に埋没されていたのを有志の努力で掘り出され、昭和51年3月にこの地へ移し復元されたものである。 |
わが古里古三津は、万葉集の熟田津の里ではないかと、江戸時代から唱える学者もあるように、古くから拓けたところである。 |
建武年間(1334−6)河野通盛が高縄山を背にした広大な河野郷を去って、本拠を道後湯築城に移した頃、河野家の部将、久枝肥前守宣盛の所領であった此の地へ、明治12年、古三津村の村民達が厳島神社より住吉神社、岩崎神社、祇園社の3社を合祀して現在地に奉遷し、社名を久枝神社と称し奉る。 |