明治11年(1878年)、 愛媛県松山中学創立。 明治19年(1886年)、村上霽月は松山中学校を卒業。 明治25年(1892年)、愛媛県尋常中学校開校。 明治25年(1892年)、高浜虚子は愛媛県尋常中学校を卒業。 明治28年(1895年)4月、夏目漱石は愛媛県尋常中学校に赴任。 明治29年(1896年)4月、夏目漱石は熊本第五高等中学校へ転任。 明治30年(1897年)、松根東洋城は愛媛県尋常中学校を卒業。 明治32年(1899年)、愛媛県松山中学校と改称。 明治34年(1901年)、安倍能成は松山中学校を卒業。 |
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平成13年(2001年)10月、松山中学・松山東高第13代同窓会長退任紀念に門田圭三建立。 |
明治28年(1895年)8月帰松、松山中学英語教師であった夏目漱石の寓居に同居すること50余日、「愚陀佛庵」時代である。病癒えて同年10月19日子規は上京するが、出発に先立つ送別会に於て、漱石は「御立ちやるか御立ちやれ新酒菊の花」と励まし、子規は「行く我にとどまる汝に秋二つ」とこたえた。 子規はその後再び松山の土を踏むことなく、漱石はその翌年熊本に去った。 |