2017年愛 媛

俳句の道〜碑巡り〜
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 松山市道後町から道後喜多町にかけて「俳句の道」に10基の句碑がある。そのうち、7基。

漱石の句碑


永き日やあくびうつして分れ行く

 明治29年(1896年)4月、夏目漱石が松山中学校から熊本第五高等中学校へ転任する時詠まれた句。

子規の句碑


馬しかる新酒の酔や頬冠

明治32年(1899年)の句。

『子規全集』(第三巻)「俳句稿」(秋 人事)に所収。

籾ほすや鶏遊ぶ門の内

『子規全集』(第二巻)「寒山落木」(秋 籾干)に所収。

『春夏秋冬』(秋之部)に収録の句である。

前田伍健の句碑


嘉永七年十一月四日
大地震あり道後
温泉沸き出止む
十二月廿四日
安政と改元

いろいろの厂史
  道後の
   湯は
    つきず

前田伍健は野球拳の創始者だそうだ。

内藤鳴雪の句碑


湯上りを暫く冬の扇かな

柳原極堂の句碑


湯の町の見えて石手へ遍路道

山頭火の句碑


   道後温泉一洵老と

ずんぶり湯の中の顔と顔笑ふ

昭和15年(1940年)の句。

『愚を守る』(松山時代)に収録。

昭和63年(1988年)4月11日、伊予拓本研究会建立。

 『山頭火句碑集』(防府山頭火研究会)によれば、73番目の山頭火句碑である。

この句の碑は道後温泉にもある。

森盲天外の句碑


伊予と申す国あたゝかに温泉(いでゆ)わく

本名は森恒太郎。両眼を失明して、「盲天外」と号した。

 元治元年(1864年)8月13日、伊予国伊予郡西余戸村(現・愛媛県松山市)に生まれる。

 明治31年(1898年)2月、余土村長になる。

 昭和7年(1932年)10月、道後湯之町長に就任。

 昭和9年(1934年)4月7日、71歳で没。

石田波郷の句碑


ほしいまゝ湯気立たしめてひとり居む

河東碧梧桐の句碑


温泉めぐりして戻りし部屋に桃の活けてある

この句の碑は「大和屋本店」にもある。

村上霽月の句碑


夜静渓声偏入戸 天陰月気浴籠花
 春百里疲れて浸る温泉槽哉

後日、10基になった。

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