寛政7年(1795年)2月25日、一茶は松山からの帰途に暁雨館へ再館し、翌26日時風と共にすすきが原を逍遙。 |
廿五日、入野の暁雨館に泊る。 廿六日、野辺を逍遥す。折から住吉に詣て |
住吉宮に詣で |
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楽書能 |
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一句拙し |
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山ざくら |
ほん心はいかに入野の女郎花 | きん鳥 |
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桂男の落とし子もあり溜まり水 | 関ト |
霧晴て |
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ゐる野に曇る |
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あるじ哉 |
残りなく |
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散るを |
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悋しむな |
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花の色 |
うえさせし |
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人にはいかに |
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水せん花 |
桂男の |
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落とし子もあり |
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溜まり水 |
ほん心はいかに |
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入野ゝ女郎花 |
打むれてすみれ摘みつゝ |
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なかき日も |
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入野ゝはらにくらすもろ人 |
宝暦11年(1761年)1月、松木淡々の句碑建立。 宝暦11年(1761年)11月2日、淡々は88才で歿。 明和6年(1769年)、32才で父の跡を継ぐ。 安永元年(1772年)、「芭蕉塚」建立。 寛政8年(1796年)、59才で卒。 平成8年(1996年)4月、歌碑建立。 |
入野 詠人しらず |
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あつさ弓いるのゝ草のふかけれは |
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あさ行く人の袖そ露けき |
詠人不知となっていたが、閑トの調べによって京都の公卿高辻三位世良郷の作であることが判明する。 |
過入野原作歌一首 山麻呂 ものゝふの矢なミつくろひ立向ひ入る 野ゝ原の冬こもり春さり来れは篭 毛與美篭持而此原に若菜摘む 妹石上古歌のこる壷菫いかにと問へは 玉手次掛乃宣久立留り吾に見せらく あかねさすうす紫の一花のゆかり の色香いろいろに常めつらしミ 乱尾の長き春日に見れと あかぬ鴨 反 歌 道遠(みちとお)ミ 尋つ年(たつね)入野ゝ花菫 ゆかりあればそワ禮(われ)もつミけり 行戻り尋ね入野の花見哉 むさしのゝ新羅房 |
母の手をとりて |
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つめたし夕ざくら |
昭和2年(1927年)、鈴鹿野風呂と共に山中家の茶の遺稿を発見した。 昭和21年(1946年)、近井俳句会創設。 昭和46年(1971年)、ホトトギス同人。 昭和61年(1986年)、90歳で卒。 昭和61年(1986年)12月、近井俳句会句碑建立。 |