手引松は、目通2.5メートルほどの松が地上の6メートルところでH形につながり、手を引き合った姿にみえるところから、いつとはなく手引の松と呼ばれるようになったもので、余戸の象徴として広く人々に親しまれてきた。樹令は推定200年位、学術的にも貴重なものとされ、昭和37年には松山市の天然記念物の指定を受けた。松の保護には意が尽くされたが、昭和54年秋松くい虫の被害で枯死した。 正岡子規は『散策集』明治28年10月7日の項に「をさなき時の戯れも思ひ出されたり 竹の宮の手引松は今猶残りて二十年の昔にくらべて太りたる体も見えず」と記し「行く秋や手を引きあひし松二本」と詠んでいる。 かって人々が敬愛し、子規が幼時に戯れた手引の松の枯死を悲しみ、ここにそのこんせきを保存して記録をとどめる。
松山市教育委員会 |
余戸手引松 |
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行く秋や手を引きあひし松二本 |
西山の宝塔寺拝登、碧師の墓を展す。 朝日山陸軍墓地参拝。 余戸の子規句碑を観る。
『一草庵日記』 |