大正十四年八月二十八日多古町蔦屋にて 牧水 |
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はるけく日はさし昇り千町田のたり穂の露はかゞやけるかも |
若山牧水、喜志子夫妻は、大正十四年八月二十四よりこの日まで、門下の細野春翠らと、蔦屋主人市原翰介、妻ヨ子の接待を受けて逗留し、この歌を詠み、書を残す。 当時、蔦屋の離れからは、多古のたんぼが一望のうちにあり 今、往時をしのび、その地にこの碑を建てる。 昭和五十七年八月二十八日
市原正夫 |
大正14年(1925年)8月23日、牧水は佐倉町で歌会半折會開催。米新旅館に泊まる。 24日、成田不動に参詣して多古町着、蔦屋に泊まる。 |
今日成田から飛ばした自動車は實によかつた、車體がいゝのではなく、四邊のけしきがよかつたのです、三里塚のあたりを走る時、流石に酒臭を抜いてかんたんした、牧水。
8月24日、大悟法利雄宛葉書 |
昭和30年(1955年)1月9日、喜志子夫人は再び多古町の蔦屋を訪れる。 昭和34年(1959年)8月30日、喜志子夫人は三度多古町の蔦屋来訪。 |