牧水歌碑
戸畑図書館
八幡では折柄降り始めた時雨の中を、荒生田山という岡の上の宿に案内せられた。宿のことに就いては戸畑八幡の支所の人たちがひどく心配して、静かで気持よくて廉くて、というのであれかこれかの末、この宿が選まれたのだそうだ。荒生田山は山というより岡であるが、もと小笠原侯松茸狩のために備えられたものだとかで、今は開かれて遊園地となり、桜や楓の若木が一面に植え込んである。が、岡の一部に昔を忍ばせる自然林が残っており、松は少なくなって居るが椎その他名も知らぬ二抱え三抱えの老樹大木があってみっちりと茂って居る。
「九州めぐりの追憶」 |
八幡市荒生田の岡の上の宿にて、同十日前後 よべ一夜泊れる宿の裏庭に出でて拾ひぬこの落栗を 人いまだ行かぬこの路うつくしう桜もみぢの散れるこの朝 新墾のこの坂路のすそとほし友のすがたの其処ゆ登り来
第15歌集『黒松』 |
新墾のこの坂道の |
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すそとほし友のすが |
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たの其処ゆ登り来 |
若山牧水が戸畑を訪れたのは前後三回であるが |
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この碑の歌は大正十四年十一月七日牧水夫妻が八幡から |
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鞘ヶ谷を越えて戸畑に来たときのものである |
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昭和三十六年三月十二日 |
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戸畑市教育委員会 |
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戸畑短歌会 |
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戸畑郷土史会 |
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九州創作支社 |
アクシデントのため遅れた「新墾の」の歌碑の竣工を待って共通の除幕式はその碑の建った中央公園市立図書館の前庭で五月七日に行なわれた。
『牧水歌碑めぐり』(大悟法利雄) |
『牧水歌碑めぐり』によれば戸畑駅北側の駅前公園の歌碑と合わせて、28番目、29番目の牧水碑である。 |
若山牧水は、地元の「創作」支社の招きで北九州を3度(大正13年、大正14年、昭和2年)訪れています。『創作』は、牧水が主宰していた歌誌です。この歌は大正14年11月、牧水が揮毫の会のために宿泊した八幡東区荒生田の宿から、夫人とともに鞘ケ谷の峠を越えて、戸畑の毛利雨一樓(1877〜1937)を訪れたときにに詠んだものです。 雨一樓は「創作」の同人で、牧水が北九州に来たときは必ず雨一楼を訪れるほど、二人は親しい間柄でした。 この碑の他にJR戸畑駅北側の南鳥旗町の旧雨一楼宅に牧水の歌碑が建てられていましたが、平成23年戸畑駅北側の駅前公園に移されました。その碑には、昭和2年5月に雨一楼宅を訪れたとき詠んだ次の歌が刻まれています。 |
北九州市戸畑区役所 |
新墾のこの坂道のすそとほし |
友のすがたの其処ゆ登り来 |