この歌は明治40年(1907年)6月牧水が21才のとき、東京から故郷の宮崎県に帰省中の途中、この山口の五重塔を訪れて詠んだものである。このとき同時に「山静けし山のなかなるふる寺の古りし塔みて胸ほのに鳴る」の歌もつくっている。牧水は宮崎の生まれであるが、旅と酒を愛した遍歴の歌人といわれ、明治、大正、昭和3代にわたり活躍し、昭和3年43才で没した。碑の書は牧水の夫人喜代子氏の筆である。この岩屋の花崗岩は明治初年皇居造営に際し、その礎石に使用された程の良質の石材である。 |
『若山牧水歌碑インデックス』(榎本尚美、榎本篁子著)によれば全国で43番目の牧水碑だそうだ。 |