牧水ゆかりの地
中之条
大正7年(1918年)11月19日、牧水は谷川温泉から権現峠を越えて、田中辰雄の生家を訪れている。 |
此處まで來てほつとした。町に入ると田中君のうちがすぐ知れた。いま町と、來月から同君引越して行くといふ新居──吾妻川に沿うた平地──とを見せて貰つて來たところだ。
喜志子宛葉書 |
大正9年(1920年)5月、牧水は馬車で中之条に着て川原湯温泉に向かった。 |
上州中之條町で澁川から來た軌道馬車を降りた客が五人あつた。うち四人は四萬温泉へ向ひ、私だけひとりそれらの人たちと別れて更に五里ほど吾妻の流れに沿うて遡り、その渓ばたに在る川原湯温泉といふにやつて來た。
『静かなる旅をゆきつつ』「渓ばたの温泉」 |
大正11年(1922年)10月21日、牧水は『みなかみ紀行』の旅で四万温泉田村旅館から中之条に着き、電車で渋川に向かった。 |
十一時前中之條着、折よく電車の出る處だつたので直ぐ乘車、日に輝いた吾妻川に沿うて走る。この川は數日前に嬬戀村の宿屋の窓から雨の中に佗しく眺めた溪流のすゑであるのだ。澁川に正午に着いた。 |
昭和32年(1957年)10月、暮坂峠に「枯野の旅」の詩碑とともに牧水詩碑保存会によって建立。 昭和62年(1987年)10月、建碑30周年記念事業としてブロンズ像(西常雄作)に立て替えられた。 |