あんまりよく晴れたので、ふいと思ひ立つて、正午すぎ、池袋から武蔵野鐵道に乘つて、此處まで來た。野のはて、山の起る際、裏を流るゝ入間川が意外に大きく且つ清いので驚いてゐる。あまりその渓が美しいので、明日もう一日、若し晴れたら渓に沿うて三四里馬車に乘つて見ようか知らと考えてゐる、痛み出しはせぬかと危ぶみながら。
武州飯能町港屋より |
大正4年(1915年)4月15日、武蔵野鐵道開業。現在の西武池袋線である。
歌碑の下に福寿草が咲いていた。

若山牧水が訪れた鉱泉宿は名栗温泉「大松閣」。
昔の絵葉書に若山牧水の歌が書いてあった。

秩父の秋
十一月のなかば、打続きたる好晴に乗じ秩父なる山より渓を歴巡る、その時の歌。
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飲む湯にも焚火のけむり匂ひたる山家の冬の夕餉なりけり
秋の渓温泉(いでゆ)とはいへど断崖(きりぎし)に滴る引きてやがてわかす湯
第12歌集『渓谷集』 |
大正6年(1917年)11月の歌である。
一夜を小さき鉱泉宿に過し翌日名栗川に沿うて飯能町に出づ、川小さけれど岩清く水澄みたり。
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わかし湯のラヂウムの湯はこちたくもよごれてぬるし窓に梅咲き
第13歌集『黒土』 |
大正9年(1920年)4月の歌。
牧水の死後、喜志子夫人は牧水を偲んで幾度か「大松閣」を訪れているそうだ。
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