牧水ゆかりの地
『みなかみ紀行』
大正11年(1922年)10月14日午前6時沼津発、若山牧水は『みなかみ紀行』の旅に出る。 |
十月十四日午前六時沼津發、東京通過、其處よりM―、K―、の兩青年を伴ひ、夜八時信州北佐久郡御代田驛に汽車を降りた。同郡郡役所所在地岩村田町に在る佐久新聞社主催短歌會に出席せんためである。驛にはS―、O―、兩君が新聞社の人と自動車で出迎へてゐた。大勢それに乘つて岩村田町に向ふ。高原の闇を吹く風がひしひしと顏に當る。佐久ホテルへ投宿。 |
同行なほ七八人、小諸町では驛を出ると直ぐ島崎さんの「小諸なる古城のほとり」の長詩で名高い懷古園に入つた。そしてその壞れかけた古石垣の上に立つて望んだ淺間の大きな裾野の眺めは流石に私の胸をときめかせた。過去十四五年の間に私は二三度も此處に來てこの大きな眺めに親しんだものである。ことにそれはいつも秋の暮れがたの、昨今の季節に於てであつた。 昨日から一緒になつてゐるこの土地のM―君はこの懷古園の中に自分の家を新築してゐた。そして招かれて其處でお茶代りの酒を馳走になつた。杯を持ちながらの話のなかに、私が一度二度とこの小諸に來る樣になつてから知り合ひになつた友達四人のうち、殘つてゐるのはこのM―君一人で、あと三人はみなもう故人になつてゐるといふ事が語り出されて今更にお互ひ顏が見合はされた。 |
思ひ出深いその家を出たのはもう夕方であつた。驛で土地のM―君と松本から來てゐたT―君とに別れ、あとの五人は更に私の汽車に乘つてしまつた。そして沓掛驛下車、二十町ほど歩いて星野温泉へ行つて泊ることになつた。 |
草津ではこの前一度泊つた事のある一井旅館といふへ入つた。私には二度目の事であつたが、初めて此處へ來たK―君はこの前私が驚いたと同じくこの草津の湯に驚いた。宿に入ると直ぐ、宿の前に在る時間湯から例の佗しい笛の音が鳴り出した。それに續いて聞えて來る湯揉みの音、湯揉みの唄。 草津にこの時間湯といふのが六箇所に在り、日に四囘の時間をきめて、笛を吹く。それにつれて湯揉みの音が起り、唄が聞えて來る。 たぎり沸くいで湯のたぎりしづめむと病人やまうどつどひ揉めりその湯を 湯を揉むとうたへる唄は病人(やまうど)がいのちをかけしひとすぢの唄 上野(かうづけ)の草津に來り誰も聞く湯揉の唄を聞けばかなしも |
對岸の村は生須村、學校のある方は小雨(こさめ)村と云ふのであつた。 九十九折(つづらをり)けはしき坂を降り來れば橋ありてかかる峽の深みに おもはぬに村ありて名のやさしかる小雨(こさめ)の里といふにぞありける 蠶飼(こがひ)せし家にかあらむを壁を拔きて學校となしつ物教へをり 學校にもの讀める聲のなつかしさ身にしみとほる山里過ぎて |
二人は路から降り、そのさし出でた木の眞下の川原に坐つて晝飯をたべた。手を洗ひ顏を洗ひ、つぎつぎに織りついだ樣に小さな瀬をなして流れてゐる水を掬んでゆつくりと喰べながら、日の光を含んで滴る樣に輝いてゐる眞上の紅葉を仰ぎ、また四邊あたりの山にぴつたりと燃え入つてゐる林のそれを眺め、二人とも言葉を交さぬ數十分の時間を其處(あたり)で送つた。 枯れし葉とおもふもみぢのふくみたるこの紅ゐをなんと申さむ 露霜のとくるがごとく天つ日の光をふくみにほふもみぢ葉 渓川の真白川原にわれ等ゐてうちたたへたり山の紅葉を もみぢ葉のいま照りにほふ秋山の澄みぬる姿さびしとぞ見し 帽子に肩にしつとりと匂つてゐる日の光をうら寂しく感じながら野原の中の一本路を歩いてゐると、をりをり鋭い鳥の啼聲を聞いた。久し振りに聞く聲だとは思ひながら定かに思ひあたらずにゐると、やがて木から木へとび移るその姿を見た。啄木鳥である。一羽や二羽でなく、廣い野原のあちこちで啼いてゐる。更にまたそれよりも澄んで暢びやかな聲を聞いた。高々と空に翔まひすましてゐる鷹の聲である。 下草のすすきほうけて光りたる枯木が原の啄木鳥の聲 ずつと一本だけ續いて來た野中の路が不意に二つに分れる處に來た。小さな道標が立てゝある。曰く、右澤渡温泉道、左花敷温泉道。 |
枯芒を押し分けてこの古ぼけた道標の消えかゝつた文字を辛うじて讀んでしまふと、私の頭にふらりと一つの追憶が來て浮んだ。そして思はず私は獨りごちた、「ほゝオ、斯んな處から行くのか、花敷温泉には」と。 今までよりは嶮しい野路の登りとなつてゐた。立枯の楢がつゞき、をりをり栗の木も混つて毬と共に笑みわれたその實を根がたに落してゐた。 夕日さす枯野が原のひとつ路わが急ぐ路に散れる栗の實 音さやぐ落葉が下に散りてをるこの栗の實の色のよろしさ 溪向うもそゝり立つた岩の崖、うしろを仰げば更に膽も冷ゆべき斷崖がのしかゝつてゐる。崖から眞横にいろいろな灌木が枝を張つて生ひ出で、大方散りつくした紅葉がなほ僅かにその小枝に名殘をとゞめてゐる。それが一ひら二ひらと絶え間まなく我等の上に散つて來る。見れば其處に一二羽の樫鳥が遊んでゐるのであつた。 眞裸體になるとはしつつ覺束な此處の温泉に屋根の無ければ 折からや風吹きたちてはらはらと紅葉は散り來いで湯のなかに 樫鳥が踏みこぼす紅葉くれなゐに透きてぞ散り來わが見てあれば 二羽とのみ思ひしものを三羽四羽樫鳥ゐたりその紅葉の木に 夜に入ると思ひかけぬ烈しい木枯が吹き立つた。背戸の山木の騷ぐ音、雨戸のはためき、庭さきの瀬々のひゞき、枕もとに吊られた洋燈の燈影もたえずまたゝいて、眠り難い一夜であつた。 |
未明に起き、洋燈の下で朝食をとり、まだ足もとのうす暗いうちに其處を立ち出でた。驚いたのはその、足もとに斑らに雪の落ちてゐることであつた。慌てゝ四邊(あたり)を見廻すと昨夜眠つた宿屋の裏の崖山が斑々として白い。更に遠くを見ると、漸く朝の光のさしそめたをちこちの峰から峰が眞白に輝いてゐる。 ひと夜寢てわが立ち出づる山かげのいで湯の村に雪降りにけり 起き出でて見るあかつきの裏山の紅葉の山に雪降りにけり 朝だちの足もと暗しせまりあふ峽間はざまの路にはだら雪積み 上野と越後の國のさかひなる峰の高きに雪降りにけり はだらかに雪の見ゆるは檜の森の黒木の山に降れる故にぞ 檜の森の黒木の山にうすらかに降りぬる雪は寒げにし見ゆ |
昨日の通りに路を急いでやがてひろびろとした枯芒の原、立枯の楢の打續いた暮坂峠の大きな澤に出た。峠を越えて約三里、正午近く澤渡温泉に着き、正榮館といふのゝ三階に上つた。此處は珍しくも双方に窪地を持つた樣な、小高い峠に湯が湧いてゐるのであつた。無色無臭、温泉もよく、いゝ湯であつた。此處に此の儘泊らうか、もう三四里を歩いて四萬温泉へ廻らうか、それとも直ぐ中之條へ出て伊香保まで延ばさうかと二人していろいろに迷つたが、終に四萬へ行くことにきめて、晝飯を終るとすぐまた草鞋を穿いた。 |
私は此處で順序として四萬温泉の事を書かねばならぬ事を不快におもふ。いかにも不快な印象を其處の温泉宿から受けたからである。我等の入つて行つたのは、といふより馬車から降りるとすぐ其處に立つてゐた二人の男に誘はれて行つたのは田村旅館といふのであつた。馬車から降りた道を眞直ぐに入つてゆく宏大な構への家であつた。 我等の入つて行つたのは、といふより馬車から降りるとすぐ其處に立つてゐた二人の男に誘はれて行つたのは田村旅館といふのであつた。馬車から降りた道を眞直ぐに入つてゆく宏大な構への家であつた。 |
「さうかネ、僕なんか玄關拂を喰つた事もあるにはあるが……、然しあれは丁度いま此の土地の氣風を表はしてゐるのかも知れない。ソレ上州には伊香保があり草津があるでせう、それに近頃よく四萬々々といふ樣になつたものだから四萬先生すつかり草津伊香保と肩を竝べ得たつもりになつて鼻息が荒い傾向があるのだらうと思ふ。謂はゞ一種の成金氣分だネ。」 |
十一時前中之條着、折よく電車の出る處だつたので直ぐ乘車、日に輝いた吾妻川に沿うて走る。この川は數日前に嬬戀村の宿屋の窓から雨の中に佗しく眺めた溪流のすゑであるのだ。澁川に正午に着いた。東京行沼田行とそれぞれの時間を調べておいて驛前の小料理屋に入つた。此處で別れてK―君は東京へ歸り私は沼田の方へ入り込むのである。 澁川から沼田まで、不思議な形をした電車が利根川に沿うて走るのである。その電車が二度ほども長い停電をしたりして、沼田町に着いたのは七時半であつた。指さきなど、痛むまでに寒かつた。電車から降りると直ぐ郵便局に行き、留め置になつてゐた郵便物を受取つた。局の事務員が顏を出して、今夜何處へ泊るかと訊く。變に思ひながら澁川で聞いて來た宿屋の名を思ひ出して、その旨を答へると、さうですかと小さな窓を閉めた。 |
「局の事務員」は戸部素行。当時17歳。『沼田万華鏡』(第29号)に「牧水利根の旅」を書いている。 |
宿屋の名は鳴瀧と云つた。風呂から出て一二杯飮みかけてゐると、來客だといふ。郵便局の人かと訊くと、さうではないといふ。不思議に思ひながらも餘りに疲れてゐたので、明朝來て呉れと斷つた。實際K―君と別れてから急に私は烈しい疲勞を覺えてゐたのだ。然し矢張り氣が濟まぬので自分で玄關まで出て呼び留めて部屋に招じた。四人連の青年たちであつた。矢張り郵便局からの通知で、私の此處にゐるのを知つたのださうだ。そして、 「いま自轉車を走らせましたから迫つ附けU―君も此處へ見えます。」 といふ。 やがてそのU―君が村の俳人B―君を伴れてやつて來た。もう少しませた人だとその歌から想像してゐたのに反してまだ紅顏の青年であつた。 歌の話、俳句の話、土地の話が十一時過ぎまで續いた。そしてそれぞれに歸つて行つた。村までは大變だらうからと留めたけれど、U―君たちも元氣よく歸つて行つた。 |
「U―君」は東町田の牛口善衛。「B―君」は石井仏子。本名覚重。寺久保で水車業をやっていた。 |
私は河の水上といふものに不思議な愛着を感ずる癖を持つてゐる。一つの流に沿うて次第にそのつめまで登る。そして峠を越せば其處にまた一つの新しい水源があつて小さな瀬を作りながら流れ出してゐる、といふ風な處に出會ふと、胸の苦しくなる樣な歡びを覺えるのが常であつた。 |
矢張りそんなところから大正七年の秋に、ひとつ利根川のみなかみを尋ねて見ようとこの利根の峽谷に入り込んで來たことがあつた。沼田から次第に奧に入つて、矢張り越後境の清水越の根に當つてゐる湯檜曾といふのまで辿り着いた。そして其處から更に藤原郷といふのへ入り込むつもりであつたのだが、時季が少し遲れて、もうその邊にも斑らに雪が來てをり、奧の方には眞白妙に輝いた山の竝んでゐるのを見ると、流石に心細くなつて湯檜曾から引返した事があつた。 |
月夜野橋を渡ると直ぐ取つ着きの岡の上に御堂はあつた。田舍にある堂宇としては實に立派な壯大なものであつた。そしてその前まで登つて行つて驚いた。寧ろ凄いほどの香煙が捧げられてあつたからである。 |
猿ヶ京村でのいま一人の同志H―君の事をM―君から聞いた。土地の郵便局の息子で、今折惡しく仙臺の方へ行つてゐる事などを。やがてその郵便局の前に來たので私は一寸立寄つてその父親に言葉をかけた。その人はゐないでも、矢張り默つて通られぬ思ひがしたのであつた。 |
吹路(ふくろ)といふ急坂を登り切つた頃から日は漸く暮れかけた。風の寒い山腹をひた急ぎに急いでゐると、をりをり路ばたの畑で稗や粟を刈つてゐる人を見た。この邊では斯ういふものしか出來ぬのださうである。從つて百姓たちの常食も大概これに限られてゐるといふ。かすかな夕日を受けて咲いてゐる煙草の花も眼についた。小走りに走つて急いだのであつたが、終(つひ)に全く暮れてしまつた。山の中の一すぢ路を三人引つ添うて這ふ樣にして辿つた。そして、峰々の上の夕空に星が輝き、相迫つた峽間(はざま)の奧の闇の深い中に温泉宿の燈影を見出した時は、三人は思はず大きな聲を上げたのであつた。 がらんどうな大きな二階の一室に通され、先づ何よりもと湯殿へ急いだ。そしてその廣いのと湯の豐かなのとに驚いた。十疊敷よりもつと廣からうと思はるゝ湯槽が二つ、それに滿々と湯が湛へてゐるのである。そして、下には頭大の石ころが敷いてあつた。乏しい灯影の下にづぶりつと浸りながら、三人は唯だてんでに微笑を含んだまゝ、殆んどだんまりの儘の永い時間を過した。のびのびと手足を伸ばすもあり、蛙の樣に浮んで泳ぎの形を爲すものもあつた。 部屋に歸ると炭火が山の樣におこしてあつた。なるほど山の夜の寒さは湯あがりの後の身體に浸みて來た。何しろ今夜は飮みませうと、豐かに酒をば取り寄せた。罐詰をも一つ二つと切らせた。U―君は十九か廿歳、M―君は廿六七、その二人のがつしりとした山國人の體格を見、明るい顏を見てゐると私は何かしら嬉しくて、飮めよ喰べよと無理にも強ひずにはゐられぬ氣持になつてゐたのである。 |
其處へ一升壜を提げた、見知らぬ若者がまた二人入つて來た。一人はK―君といふ人で、今日我等の通つて來た鹽原太助の生れたといふ村の人であつた。一人は沼田の人で、阿米利加に五年行つてゐたといふ畫家であつた。畫家を訪ねて沼田へ行つてゐたK―君は、其處の本屋で私が今日この法師へ登つたといふ事を聞き、畫家を誘つて、あとを追つて來たのださうだ。そして懷中から私の最近に著した歌集『くろ土』を取り出してその口繪の肖像と私とを見比べながら、 「矢張り本物に違ひはありませんねヱ。」 と言つて驚くほど大きな聲で笑つた。 |
猿ヶ京村を出外れた道下の笹の湯温泉で晝食をとつた。相迫つた斷崖の片側の中腹に在る一軒家で、その二階から斜め眞上に相生橋が仰がれた。相生橋は群馬縣で第二番目に高い橋だといふ事である。切り立つた斷崖の眞中どころに鎹の樣にして架つてゐる。高さ二十五間、欄干に倚つて下を見ると膽の冷ゆる思ひがした。しかもその兩岸の崖にはとりどりの雜木が鮮かに紅葉してゐるのであつた。 |
湯の宿温泉まで來ると私はひどく身體の疲勞を感じた。數日の歩きづめとこの一二晩の睡眠不足とのためである。其處で二人の青年に別れて、日はまだ高かつたが、一人だけ其處の宿屋に泊る事にした。もつともM―君は自分の村を行きすぎ其處まで見送つて來てくれたのであつた。U―君とは明日また沼田で逢ふ約束をした。 一人になると、一層疲勞が出て來た。で、一浴後直ちに床を延べて寢てしまつた。一時間も眠つたと思ふ頃、女中が來てあなたは若山といふ人ではないかと訊く。不思議に思ひながらさうだと答へると一枚の名刺を出して斯ういふ人が逢ひ度いと下に來てゐるといふ。見ると驚いた、昨日その留守宅に寄つて來たH―君であつた。仙臺からの歸途沼田の本屋に寄つて私達が一泊の豫定で法師に行つた事を聞き、ともすると途中で會ふかも知れぬと言はれて途々氣をつけて來た。そしてもう夕方ではあるし、ことによるとこの邊に泊つて居らるゝかも知れぬと立ち寄つて訊いてみた宿屋に偶然にも私が寢てゐたのだといふ。あまりの奇遇に我等は思はず知らずひしと兩手を握り合つた。 |
老神温泉に着いた時は夜に入つてゐた。途中で用意した蝋燭をてんでに點して本道から温泉宿の在るといふ川端の方へ急な坂を降りて行つた。宿に入つて湯を訊くと、少し離れてゐてお氣の毒ですが、と言ひながら背の高い老婆が提灯を持つて先に立つた。どの宿にも内湯は無いと聞いてゐたので何の氣もなくその後に從つて戸外へ出たが、これはまた花敷温泉とも異つたたいへんな處へ湯が湧いてゐるのであつた。手放しでは降りることも出來ぬ嶮しい崖の岩坂路を幾度か折れ曲つて辛うじて川原へ出た。そしてまた石の荒い川原を通る。その中洲の樣になつた川原の中に低い板屋根を設けて、その下に湧いてゐるのだ。 |
さう言ふとK―君は飛び出して番傘を買つて來た。私もそれに頼んで大きな油紙を買つた。そして尻から下を丸出しに、尻から上、首までをば僅かに兩手の出る樣にして、くるくると油紙と紐とで包んでしまつた。これで帽子をまぶかに冠れば洋傘はさゝずとも間に合ふ用意をして、宿を立ち出でた。そして程なく、雨風のまだ全くをさまらぬ路ばたに立つてK―君と別れた。彼はこれから沼田へ、更に自分の村下新田まで歸つてゆくのである。 |
獨りになつてひた急ぐ途中に吹割の瀧といふのがあつた。長さ四五町幅三町ほど、極めて平滑な川床の岩の上を、初め二三町が間、辛うじて足の甲を潤す深さで一帶に流れて來た水が或る場所に及んで次第に一箇所の岩の窪みに淺い瀬を立てゝ集り落つる。窪みの深さ二三間、幅一二間、その底に落ち集つた川全體の水は、まるで生絲の大きな束を幾十百綟ぢ集めた樣に、雪白な中に微かな青みを含んでくるめき流るゝ事七八十間、其處でまた急に底知れぬ淵となつて青み湛へてゐるのである。淵の上にはこの數日見馴れて來た嶮崖が散り殘りの紅葉を纏うて聳えて居る。見る限り一面の淺瀬が岩を掩うて流れてゐるのはすがすがしい眺めであつた。それが集るともなく一ところに集り、やがて凄じい渦となつて底深い岩の龜裂の間を轟き流れてゆく。岩の間から迸り出た水は直ぐ其處に湛へて、靜かな深みとなり、眞上の岩山の影を宿してゐる。土地の自慢であるだけ、珍しい瀧ではあつた。 |
そろそろ暮れかけたころ東小川村に入つて、其處の豪家C―を訪うた。明日下野國の方へ越えて行かうとする山の上に在る丸沼といふ沼に同家で鱒の養殖をやつてをり、其處に番小屋があり、番人が置いてあると聞いたので、その小屋に一晩泊めて貰ひ度く、同家に宛てゝの紹介状を沼田の人から貰つて來てゐるのであつた。主人は不在であつた。そして内儀から宿泊の許諾を得、番人へ宛てゝの添手紙を貰ふ事が出來た。 村を過ぎると路はまた峽谷に入つた。落葉を踏んで小走りに急いでゐると、三つ四つ峰の尖りの集り聳えた空に、望(もち)の夜近い大きな月の照りそめてゐるのを見た。落葉木の影を踏んで、幸に迷ふことなく白根温泉のとりつきの一軒家になつてゐる宿屋まで辿り着くことが出來た。 此處もまた極めて原始的な湯であつた。湧き溢れた湯槽には壁の破れから射す月の光が落ちてゐた。湯から出て、眞赤な炭火の山盛りになつた圍爐裡端に坐りながら、何は兎もあれ、酒を註文した。ところが、何事ぞ、無いといふ。驚き慌てゝ何處か近くから買つて來て貰へまいかと頼んだ。宿の子供が兄妹づれで飛び出したが、やがて空手で歸つて來た。更に財布から幾粒かの銅貨銀貨をつまみ出して握らせながら、も一つ遠くの店まで走つて貰つた。 心細く待ち焦れてゐると、急に鋭く屋根を打つ雨の音を聞いた。先程の月の光の浸み込んでゐる頭に、この氣まぐれな山の時雨がいかにも異樣に、佗しく響いた。雨の音と、ツイ縁側のさきを流れてゐる溪川の音とに耳を澄ましてゐるところへぐしよ濡れになつて十二と八歳の兄と妹とが歸つて來た。そして兄はその濡れた羽織の蔭からさも手柄額に大きな壜を取り出して私に渡した。 |
そして眼を擧げて見ると澤を圍む遠近の山の山腹は殆んど漆黒色に見ゆるばかり眞黒に茂り入つた黒木の山であつた。常磐木の森であつた。 「樅(もみ)、栂(つが)、檜、唐繪(たうび)、黒檜(くろび)、……、……。」 と案内人はそれらの森の木を數へた。それらの峰の立並んだ中に唯だ一つ白々と岩の穗を見て聳えてゐるのはまさしく白根火山の頂上であらねばならなかつた。 時知らず此處に生おひたち枝張れる老木を見ればなつかしきかも 枯木なす冬木の林ゆきゆきて行きあへる紅葉にこころ躍らす |
澤を行き盡すと其處に端然として澄み湛へた一つの沼があつた。岸から直ちに底知れぬ蒼みを宿して、屈折深い山から山の根を浸して居る。三つ續いた火山湖のうちの大尻沼がそれであつた。水の飽くまでも澄んでゐるのと、それを圍む四邊(あたり)の山が墨色をしてうち茂つた黒木の山であるのとが、この山上の古沼を一層物寂びたものにしてゐるのであつた。 その古沼に端なく私は美しいものを見た。三四十羽の鴨が羽根をつらねて靜かに水の上に浮んでゐたのである。思はず立ち停つて瞳を凝らしたが、時を經ても彼等はまひ立たうとしなかつた。路ばたの落葉を敷いて飽くことなく私はその靜かな姿に見入つた。 昂奮の後のわびしい心になりながら沼のへりに沿うた小徑の落葉を踏んで歩き出すと、程なくその沼の源とも云ふべき、清らかな水がかなりの瀬をなして流れ落ちてゐる處に出た。そして三四十間その瀬について行くとまた一つの沼を見た。大尻沼より大きい、丸沼であつた。 沼と山の根との間の小廣い平地に三四軒の家が建つてゐた。いづれも檜皮葺の白々としたもので、雨戸もすべてうす白く閑ざされてゐた。不意に一疋の大きな犬が足許に吠えついて來た。胸をときめかせながら中の一軒に近づいて行くと、中から一人の六十近い老爺が出て來た。C―家の内儀の手紙を渡し、一泊を請ひ、直ぐ大圍爐裡の榾火(ほだび)の側に招ぜられた。 番人の老爺が唯だ一人居ると私は先に書いたが、實はもう一人、棟續きになつた一室に丁度同じ年頃の老人が住んでゐるのであつた。C―家がこの丸沼に紅鱒の養殖を始めると農務省の水産局からC―家に頼んで其處に一人の技手を派遣し、その養殖状態を視る事になつて、もう何年かたつてゐる。老人はその技手であつたのだ。名をM―氏といひ、桃の樣に尖つた頭には僅かにその下部に丸く輪をなした毛髮を留むるのみで、つるつるに禿げてゐた。 |
長い坂を登りはてるとまた一つの大きな蒼い沼があつた。菅沼と云つた。それを過ぎてやゝ平らかな林の中を通つてゐると、端なく私は路ばたに茂る何やらの青い草むらを噴きあげてむくむくと噴き出てゐる水を見た。案内人に訊ねると、これが菅沼、丸沼、大尻沼の源となる水だといふ。それを聞く私は思はず躍り上つた。それらの沼の水源と云へば、とりも直さず片品川、大利根川の一つの水源でもあらねばならぬのだ。 ばしやばしやと私はその中へ踏みこんで行つた。そして切れる樣に冷たいその水を掬み返し掬み返し幾度となく掌に掬んで、手を洗ひ顏を洗ひ頭を洗ひ、やがて腹のふくるゝまでに貪り飮んだ。 |
草鞋を埋むる霜柱を踏んで、午前十時四十五分、終に金精峠の絶頂に出た。眞向ひにまろやかに高々と聳えてゐるのは男體山であつた。それと自分の立つてゐる金精峠との間の根がたに白銀色に光つて湛へてゐるのは湯元湖であつた。これから行つて泊らうとする湯元温泉はその湖岸であらねばならぬのだ。ツイ右手の頭上には今にも崩れるばかりに見えて白根火山が聳えてゐた。男體山の右寄りにやゝ開けて見ゆるあたりは戰場ヶ原から中禪寺湖であるべきである。 |