亀戸村にあり。故に亀戸天満宮とも唱ふ。別当を天原山東安楽寺聖廟院と号す。司務兼宮司大鳥居氏奉祀せり。(当社別当は柳営御連歌の列に加へられ、毎歳正月十一日営中に至り、御連歌百韻興行す。)御旅所は当社の南竪川通り、北松代町四丁目にあり。(筑前国榎寺の摸しなり。薬師堂あり。八月二十四日祭礼の時、神輿をこの処に遷しまゐらす。)
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元禄十四年二月廿五日、聖廟八百齢御年忌。於二亀戸御社一、詩哥連誹令二興行一座一。
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梅松やあがむる数も八百所
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ところで、亀戸天神社には芭蕉の句碑があるはずだと思って探したが、多種多様の碑があって、なかなか見付からない。何度か尋ねて、やっと探し当てた。
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聖廟九百年御忌句碑

しはらくは花の上なる月夜哉
出典は『初蝉』(風国編)。
貞亨5年(1688年)春、芭蕉45歳の句。
亨和2年(1802年)2月25日、菅原道眞公の御神忌900年に芭蕉門下の人々が芭蕉百十年忌にあわせて建立する。四世雪中庵完來筆。
芭蕉の句の他に、雪中庵祖嵐雪、二世雪中庵吏登、三世雪中庵蓼太の句が刻まれているそうだが、全く読めない。
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そこで亀戸天神社に問い合わせてみた。
しはらくは花の上なる月夜哉
| 芭蕉翁
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錦帳の鷄世を学の戸やほとゝきす
| 嵐雪
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明月やそゝろに走る秋の雲
| 吏登
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かり初に降出す雪の夕かな
| 蓼太
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島完来敬書
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句碑の背面に雪中庵完來、夜雪庵普成、葎雪庵午心の句が刻まれている。
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松の月月の松影よもすから
| 四世雪中庵完来
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しら雪やをのつからなるひと夜松
| 夜雪庵普成
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白妙や花のあらしも松風も
| 葎雪庵午心
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享和二年壬戌春二月廿五日建之
| 阿波空山白酔俳書
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『広茗荷集』に「冥加墳 本所亀戸天神 境内池ノ辺ニ在」とある。
明和元年(1764年)、鳥酔は兀雨と亀戸天神社に遊ぶ。
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○亀井戸社頭 八王子詞友兀雨子風谷と共にあそふ
藤咲や一夜に出来ぬ花の丈
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明治29年(1896年)、正岡子規は亀戸天神社で「御神牛」を句に詠んでいる。
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龜戸
藤枯れて晝の日弱る石の牛
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明治34年(1901年)、伊藤左千夫は亀戸天神の藤を詠んでいる。
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亀井戸の藤も終りと雨の日をからかささしてひとり見に来し
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けならべて雨ふるなべに亀井戸の藤なみの花散らまく惜しも
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昭和16年(1941年)4月30日、永井荷風は亀戸天神を訪れた。
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午後土州橋より龜井戸に至り菅廟に賽す。鳥居前の茶店皆店を閉め葛餅團子其他悉く品切の札を下げたり。藤棚下の掛茶屋にては怪しげなる蜜豆サイダーを賣りゐたり。この日風冷にて藤花未開かず杜鵑花のみ滿開なり。
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昭和33年(1958年)1月21日、石田波郷は亀戸天神の初天神を訪れている。
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昭和42年(1967年)5月5日、高野素十は亀戸天神で小春会。
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同五日 亀戸天神 小春会
藤棚の葉の少き花多く
藤棚の花少き葉の多く
『芹』 |
菅原道真は学問の神様。お参りしたら、多少の御利益はあったようだ。
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