十五日 はくろの神にまうで奉る。是なん鳥屋神社にておましませり。又零羊崎(ヒツチサキ)の神は、直野のむらといふといへば、今は摩鬼てふ山のいたゝきにあがめてけり。鹿島御児は、門脇といふなる、日好(ヒヨリ)山におましぬなど、人に聞たり。
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天明6年(1786年)9月15日、菅江真澄は鹿島御児神社に参詣している。
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やがて鳥屋神社にまうで、鹿島御児神社にまうづ。ここを日好山まで、いとよきながめなり、葛西三郎清重の鋳たるかね、いまもかけたり。
『はしわのわかば 続』(仮題) |
嘉永5年(1852年)3月16日、吉田松陰は日和山に登る。
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日和山に登りて以て縦觀す。山は葛西城の趾に係り、今は鹿島の祠を置く。地形高敝、川と海とに臨む。
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昭和3年(1928年)7月25日、荻原井泉水は芭蕉の句碑を見ている。
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芭蕉翁
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| 雲折々
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| 人を休める月見かな
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この句を書いた碑がそこに建ててあった。「延享五戊辰三月雲裡坊門人等営之、主命棠雨とある。松島で見たのも、仙台で見たのも、雲裡坊門人で、延享年間のものだった。
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日和山公園の駐車場に山頭火の句碑があった。

昭和11年(1936年)6月26日、種田山頭火は芭蕉と同じ日に石巻を訪れて、芭蕉の句碑を見ている。
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早い朝湯にはいってから日和山の展望をたのしむ。美しい港の光景である。芭蕉の句碑もあった。
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水底の雲もみちのくの空のさみだれ
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あふたりわかれたりさみだるヽ
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