芭蕉の句碑
夏来ても多ゞ一つ葉乃一津可南
藩の領域を守るために用瀬に番所が置かれたのは、慶応元年(1865年)であった。御藩士6人、下番4人が配置され、山口村及び細尾村木戸締を兼務した。 この番所のそばに大きな一本松があった。番所松と呼ばれていたが、大正8年(1919年)鳥取軽便鉄道が用瀬まで開通する時に切られた。 この番所は、明治4年(1871年)11月7日まで置かれ、通行人や荷物の検査が厳重に行われたものである。 |
芭蕉塚は鳥取県下に七ヶ所ある。ここの塚は寛政9年(1797年)7月25日に一本松の所に建てられた。 |
芭蕉の徳を慕った俳句同好者の手で作られた。 平成10年7月
用瀬町教育委員会 |
平成16年(2004年)11月1日、用瀬町は鳥取市に編入合併し、鳥取市用瀬町となった。 |