芭蕉の顕彰と斯道の発展を記念します。 碑文は日展会友・教育書道の貢献者 後藤西香先生の書作です。 この句の前書は、師芭蕉と同行した支考の『笈日記』に記載され、元禄7年(1694年)9月9日、奈良より難波に到着し、「生玉の辺より日を暮して」と掲載されてます。 9月9日は、日本古来の五節句の一つで、重陽の節句日、生国魂神社の例祭日であります。天正13年(1585年)9月9日に現在地に遷座奉祝祭が斎行された日であります。
平成12年(2000年)9月9日 松本清一・仁孝 建立 |
寛文13年(1673年)3月、西鶴は生玉神社南坊で「万句興行」を行った。6月、『生玉万句』刊。32歳の時で、当時は井原鶴永と名乗っていた。 延宝8年(1680年)5月7日、西鶴は生玉神社南坊で「一昼夜四千句」を成就。この時の役人脇座十二人の中に秋田俳壇の始祖といわれる桂葉がいた。 貞享元年(1684年)6月5日、其角を後見に招いて、住吉神社で2万3,500句を詠む。 |
享保元年(1716年)9月9日、露川と門人燕説は西国行脚の帰途、生国魂神社を訪れている。 |
節句の九日、難波に入て生玉祭にあふ。 |
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生玉に咲やこのはな菊祭 | 居士 |
明和8年(1771年)10月、加舎白雄は生玉神社に参詣している。 |
生玉へ参りつるに、なには人の打むれて、糸竹の遊び、冬ともわかぬありさまを見やりて、 かれ蓮に人の心の小春哉
『須磨紀行』 |