この陶像は、昭和49年10月、千住大橋北詰に「おくのほそ道矢立初の碑」が建立されたのを祝って、川崎康子氏から寄贈されたものである。 昭和17年、伊賀上野に俳聖殿建立の際、伊賀焼で芭蕉の座像を製作し、堂内におさめた。これは万一に備えて同時に焼かれた副である。像の原形は、乃木希典将軍の甥にあたる長谷川栄作氏の作。重さは約400kgある。 |
文久3年(1863年)、千住3丁目本氷川神社境内に建てられた芭蕉句碑。千住は芭蕉奥の細道の旅立ちの地でもあり、蕉門の流れをくむ巣兆が住んでいたこともあって俳諧がさかんであり、千住連衆が活躍していた。
枇杷園随筆、白雄夜話によれば、芭蕉自画讃で紅梅にこの句を讃しているという。本氷川神社に梅樹があって、芭蕉崇敬者らが建立したと考えられるが、真説ははさだかではない。風化がはげしいため、平成3年地元で新たに句碑を再建し旧碑をここに保存した。 |