芭蕉の句
雪散るや穂屋の薄の刈り残し
「信濃路を過ぐるに」と前書きがあるが、芭蕉は冬の信濃路を旅してはいない |
猿蓑集に此冬、信濃路を過るとはし書有て、 |
雪ちるや穂屋のすゝきの苅のこし |
と云句をなし給ふ。然れども翌年、奥のほそ道に去年の秋、江上の破屋に蜘蛛の古巣をはらひといふ詞あれば、疑なく八九月の頃、深川に歸庵せられしなるべし。信濃を過のはし書は儲て書たまひしものか。 |
『芭蕉翁略伝』(湖中編) |
『芭蕉句鑑』には「天和元より三迄の春の部」に収録されている。 |
深川草庵焼亡甲州遊行 信濃を過るとて 雪散るや穗屋の芒の刈殘し |
信濃路を過る 雪散るや穂屋の薄の刈り残し 信州諏訪明神御射山祭七月廿七日也、すゝきの穂をもつて御仮屋を造り、小鳥を狩て神贄にそなふ。依て穂屋の神事ともいへり。古哥多し「尾花ふくほやのあたりの一むらハしハし里ある秋のミさやま」「霜さゆる山田の畔のむらすゝき苅人なしに残る比かな」苅残しの詞よく此哥の心にかなひて哀ふかし |
長野県上田市の座摩神社、長野市の西光寺、中野市の稲向太元神社 穂高町の穂高神社、下諏訪町の落合発電所、富士見町の御射山社 神戸八幡社、阿智村の長岳寺に句碑がある。 |
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