芭蕉の句
やすやすと出でていざよふ月の雲
元禄4年(1691年)8月16日、前夜の義仲寺に於ける月見の俳座に引き続き、十六夜の月を賞すべく、芭蕉は数名の門人と舟で堅田に赴き、門人竹内茂兵衛成秀の家に遊んだ。前夜にもまして盛況だったこの夜の俳席の様を「堅田十六夜の弁」として記し、成秀に贈っている。
平成6年3月 大津市 |
元禄四年未秋 |
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やすやすと出ていさよふ月のくも | はせを |
舟をならへておき渡す雲 | 成秀 |
ひらめきて咲も揃ハぬ萩のはに | 路通 |
鍋こそけたるおとのせはしさ | 丈艸 |
とろとろとねむれハ直る駕のよひ | 惟然 |
城とりまハすゆふ立のかけ | 狢睡 |
秋田県大館市の長興寺 宮城県利府町の八幡神社 群馬県玉村町の玉村八幡宮 千葉県君津市の神野寺に句碑がある。 |
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望月の残興なほやまず、二三子いさめて、舟を堅田の浦に馳す。その日、申の時ばかりに、何某茂兵衛成秀といふ人の家のうしろに至る。
「酔翁・狂客、月に浮れて来たれり」と、舟中より声々に呼ばふ。あるじ思ひかけず、驚き喜びて、簾をまき塵をはらふ。「園中に芋あり、大角豆(ささげ)あり。
鯉・鮒の切り目たださぬこそいと興なけれ」と、岸上に櫂をならべ筵をのべて宴を催す。月は待つほどもなくさし出で、湖上はなやかに照らす。
かねて聞く、仲秋の望の日、月浮御堂にさし向ふを鏡山といふとかや。今宵しも、なほそのあたり遠からじと、かの堂上の欄干によつて、三上・水茎の岡、南北に別れ、その間にして峰ひきはへ、小山いただきを交ゆ。
とかく言ふほどに、月三竿にして黒雲のうちに隠る。いづれか鏡山といふことをわかず。あるじの曰く、「をりをり雲のかかるこそ」と、客をもてなす心いと切なり。
やがて月雲外に離れ出でて、金風・銀波、千体仏の光に映ず。かの「かたぶく月の惜しきのみかは」と、京極黄門の嘆息のことばをとり、十六夜の空を世の中にかけて、無常の観のたよりとなすも、この堂に遊びてこそ。「ふたたび恵心の僧都の衣もうるほすなれ」と言へば、あるじまた言ふ、「興に乗じて来たれる客を、など興さめて帰さむや」と、もとの岸上に杯をあげて、月は横川に至らんとす。 |
錠明けて月さし入れよ浮御堂 |
やすやすと出でていざよふ月の雲 |