芭蕉の句
ちゝはゝのしきりにこひし雉の声
高野 |
||||||||||||||||||||||||||
ちゝはゝのしきりにこひし雉の声 |
||||||||||||||||||||||||||
ちる花にたぶさはづかし奥の院 万菊 |
行基菩薩が高野山で詠んだという「山鳥のほろほろと鳴く声きけば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」を踏まえるとされる。 |
父母のしきりに恋し雉子の聲 |
山鳥のなくを聞きて | 行基菩薩 |
山鳥のほろほろとなく声きけばちちかとぞ思ふははかとぞ思ふ
『玉葉集』(釈教) |
良弁僧都の歌に「ほろほろと鳴は山田の雉子の聲父にやあらん母にやあらむ」此詠によれる歟 |
寛文6年(1666年)4月25日、芭蕉の主君良忠(俳号蝉吟)は25歳で没し、芭蕉は蝉吟の位牌を高野山報恩院に納める使者を務めたという。 |
寛文六年四月といふに、思ひ掛けずも、主計(かずへ)失せられけるに、宗房、其のなき主の遺髪を首にかけて、高野山に登りをさめしより(愚按、高野山の宿坊、報恩院の過去帳に、遺髪の御供、松尾忠右衛門殿と記せり。) |
○高野のおくにのぼれば、霊場さかんにして法の燈消る時なく、坊舎地をしめて仏閣甍をならべ、一印頓成の春の花は寂寞の霞の空に匂ひておぼえ、猿の声、鳥の啼にも膓を破るばかりにて、御廟を心しづかにをがみ、骨堂のあたりに彳て、倩(つらつら)思ふやうあり。此処はおほくの人のかたみの集れる所にして、わが先祖の鬢髪をはじめ、したしきなつかしきかぎりの白骨も此内にこそおもひこめつれと、袂もせきあへず。そゞろにこぼるゝ涙をとゞめて、 父母のしきりに恋し雉子の声 右、秋挙夜話
『枇杷園随筆』 |
福島県会津若松市の八葉寺 栃木県岩舟町の高勝寺 群馬県明和町、沼田市の迦葉山参道 埼玉県行田市の昭岩寺、本庄市法養寺、入間市野田の路傍 東京都足立区の西新井大師、練馬区の長命寺 千葉県館山市の小塚大師 神奈川県川崎市の川崎大師、茅ヶ崎市の金剛院 山梨県上野原市の保福寺 岐阜県多治見市の順徳寺 福井県勝山市の佛母寺 滋賀県長浜市の福良荘 山口県下関市の光禅寺 愛媛県松山市の長隆寺、大洲市の聖臨寺、宇和島市の龍光院に句碑がある。 |
![]() | ![]() | ![]() |
![]() | ![]() |