芭蕉の句
野を横に馬牽むけよほとゝぎす
元禄2年(1689年)4月16日(新暦6月3日)、芭蕉は14日間滞在した黒羽を発って殺生石に向かう。余瀬に立ち寄り、昼に及んで黒羽の館代浄坊寺桃雪に野間まで馬で送られた。 |
是より殺生石に行。館代より馬にて送らる。此口付のおのこ、短冊得させよと乞。やさしき事を望侍るものかなと、 |
『奥の細道』 |
一 十六日 天気能。翁、館ヨリ余瀬ヘ被立越。則、同道ニテ余瀬ヲ立。及昼、図書・弾蔵ヨリ馬人ニテ被送ル。馬ハ野間ト云所ヨリ戻ス。此間弐里余。高久ニ至ル。雨降リ出ニ依、滞ル。此間弐里半余。宿角(覚)左衛門、図書ヨリ状被添。
『曽良随行日記』 |
茨城県東海村の虚空蔵堂、常総市の報国寺 栃木県大田原市の常念寺、那須塩原市の鍋掛交差点、岩舟町の高勝寺 千葉県鴨川市の地蔵尊、東庄町の東大社 静岡県御殿場市の旧家 長野県佐久市の荘山稲荷神社、塩尻市の郷福寺 愛知県東海市の旧家 福岡県芦屋町の岩津宮に句碑がある。 |
![]() | ![]() |
![]() | ![]() |
『石碑供養』によれば、文政13年(1830年)9月、一桑庵野月は「野を横に馬引むけよ杜宇」の句碑を建立したようであるが、その所在は不明。 |