芭蕉の句
あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ
あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ |
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暑き日を海にいれたり最上川 |
元禄2年(1689年)6月13日、酒田に到着して伊東不玉亭に2泊する。 |
出羽酒田の湊、伊東不玉亭にて |
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あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ | ばせを |
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海松(みる)かる礒に畳む帆莚 | 不玉 |
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『奥の細道』では鶴岡から川舟で酒田に下った時の句としてあるが、実際は象潟から酒田に戻り、6月19日(陽歴8月4日)不玉と共に小舟で納涼した時の句である。 |
○十九日 快晴。三吟始。明廿日、寺嶋彦助江戸へ被レ趣ニ因テ状認。翁より杉風、又鳴海寂照・越人へ被レ遣。予、杉風・深川長政へ遣ス。 ○廿日 快晴。三吟。 ○廿一日 快晴。夕方曇。夜ニ入、村雨シテ止。三吟終。
『曽良随行日記』』 |
「あつみ山や吹浦かけて夕涼み」の句は恐らく酒田の海岸最上川の河口に近い納涼に出ての句であろう。南に頂の尖ったあつみ山が海に迫っておる、吹浦までは砂浜つづきで、大師岬とかいうのが、手を延べておる。何等の巧みを弄せぬ景色そのままの直写である。あつみは今温海と書き、吹浦はふくうらと読む。 |
『継尾集』に「江上之晩望」と前書きがある。 『泊船集』には「洲庵不玉亭」と前書きがある。 |
『俳諧一葉集』には「袖の浦の眺望」と前書きがある。 |
君恋ふる涙のかかる袖の浦はいはほなりとも朽ちぞしぬべき
『拾遺和歌集』(よみ人知らず) |
袖の浦 振向けは秋風からし袖の浦 |
君恋ふる涙のかかる袖の浦はいはほなりとも朽ちぞしぬべき
『拾遺和歌集』(よみ人知らず) |
山形県天童市の「天童タワー」、山形市の山形蔵王PA、遊佐町の国道345号 酒田市の日和山公園、鶴岡市の立岩海底温泉に句碑がある。 |
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