芭蕉の句
荒海や佐渡によこたふ天河
酒田の余波日を重て、北陸道の雲に望、遥々のおもひ胸をいたましめて加賀の府まで百卅里と聞。鼠の関をこゆれば、越後の地に歩行を改て、越中の国一ぶりの関に到る。此間九日、暑湿の労に神をなやまし、病おこりて事をしるさず。 |
文月や六日も常の夜には似ず |
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荒海や佐渡によこたふ天河 |
元禄2年(1689年)7月4日、芭蕉は出雲崎に泊まった。芭蕉園の前の大崎屋という旅籠に宿泊したという言い伝えがある。 |
○四日 快晴。風、三日同風也。辰ノ上刻、弥彦ヲ立。 弘智法印像為レ拝。峠 より右ヘ半道計行。谷ノ内、森有、堂有、像有。二三町行テ、最正寺ト云所ヲ、ノヅミト云浜へ出テ、十四五丁、寺泊ノ方ヘ来リテ、左ノ谷間ヲ通リテ、国上へ行道有。荒井ト云塩浜ヨリ壱リ計有。寺泊ノ方ヨリハ、ワタベト云所ヘ出テ行也。寺泊リノ後也。壱リ有。同晩、申ノ上刻、出雲崎ニ着、宿ス。夜中、雨強降。
『曽良随行日記』 |
○北陸道に行脚して。越後ノ國出雲崎といふ所に泊る。彼佐渡がしまは。海の面十八里。滄波を隔て。東西三十五里に。よこおりふしたり。みねの嶮難谷の隈々まで。さすがに手にとるばかり。あざやかに見わたさる。
むべ此島は。こがねおほく出て。あまねく世の寳となれば。限りなき目出度島にて侍るを。大罪朝敵のたぐひ。遠流せらるゝによりて。たゞおそろしき名の聞えあるも。本意なき事におもひて。窓押開きて。暫時の旅愁をいたはらむとするほど。日既に海に沈で。月ほのくらく。銀河半天にかゝりて。星きらきらと冴たるに。沖のかたより。波の音しばしばはこびて。たましひけづるがごとく。腸ちぎれて。そゞろにかなしひきたれば。草の枕も定らず。墨の袂なにゆゑとはなくて。しぼるばかりになむ侍る。 あら海や佐渡に横たふあまの川 |
新潟県弥彦村の宝光院、佐渡市の総鏡寺、気比神社、海運資料館 糸魚川市の西蓮寺 岐阜県大垣市の「ミニ奥の細道」に句碑がある。 |
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