旅のあれこれ文 学


『俊頼髄腦』

源俊頼によって書かれた歌論書。

 源俊頼は小倉百人一首の歌「うかりける人を初瀬の山おろしよ激しかれとは祈らぬものを」で知られる。

白河法皇の命により『金葉和歌集』を撰集。

   八雲たつ出雲やへがきつまこめに八重垣つくるその八重垣を

これは素盞嗚尊と申す神の、出雲の國にくだり給ひて、足なづち手なづちの神のいつきむすめをとりて、諸共に住み給はむとて宮づくりし給ふ時によみ給へる御歌なり。これなむ句をとゝのへ、文字の數をさだめ給へる歌のはじめなる。八雲たつといふはじめの五文字は、その所に八色の雲の立ちたりけるとぞ書き傳へたる。

   今こむといひしばかりに長月のありあけの月を待ちいでつるかな

此月と月なり。ながつきとよめる月は、つきなみの月なり。ありあけの月とよめる月は空に出づる月をいへば、心はかはれど、なほ同じ文字なり。

   難波津にさくやこの花冬ごもり今ははるべとさくやこの花

これは古き歌論議といへるものに互に論じたる事なれば、今はじめて申すべきにあらねど、難波津といふはなんばの宮をいひ、この花といへるは梅の花をいふなりといへど、なほ文字病はさりどころ見えず。

   淺香山かげさへ見ゆる山のゐの淺くは人を思ふものかは

これ又文字の病なり。淺香山といふはゝじめの五文字は所の名なり。にごりていふべきなり。中の淺くは人をといへるは、淺しといふ事なれば、心はかはるとといへども、文字の病はさりがたくぞ見ゆる。これふたつは歌の父母として手ならふ人のはじめとして、幼き人のてならひそむる歌なりと古き物にかけり。この父母の歌の病のあれば末の世の子孫の歌の病あらむにとがなからむか。



みかどの御製は、大鷦鷯の天皇のたかみくらにのぼらせ給ひて、遥にながめやらせ給ひてよませ給へる御製

   高き屋にのぼりて見れば煙たつ民のかまどもにぎはひにけり

是はみやこうつりのはじめにたかみくらにのぼらせ給ひて、民のすみかを御覧じよませ給へる歌なり。かまどなどは歌によまむにはいやしき詞なれど、かくよみおかれぬればはゞかりなし。



和泉式部が保昌に忘られて貴船に參りてよめる歌

   物おもへばさはの螢もわが身よりあくがれにけるたまかとぞ見る

明神の御返し

   おく山にたぎりておつるたぎつ瀬にたまちるばかり物な思ひそ

是は御社の内にこゑのありて耳にきこえけるとぞ式部申しける。



うせける日、業平中將よめる歌

   遂にゆく道とはかねてきゝしかどきのふけふとは思はざりしを

よまれじかしと思へど、さてこそはあらめ。そら事ならむやは。



   あかなくにまだきも月のかくるゝか山のはにげていれずもあらなむ

かやうに山のはにげてなどあるまじき事をさへ思ひよりてをしむときくに、

   おほかたは月をもめでじこれぞこれぞこのつもれば人の老となるもの

かうもよみける。されど老のつもりぬる事をなげかむとて、月をいとひたるにや。月物いふ物ならましかば、月あやまたずとやいはまし。



   風ふけば沖つ白浪たつた山よはにや君がひとりゆくらむ

白波といふはぬす人をいふなり。立田山をおそろしくやひとりこゆらむとおぼつかなさによめる歌なり。



   岩代の濱松がえをひきむすびまさしくあらば又かへり來む

これは孝徳天皇と申しけるみかど、位をさり給はむとしける時、有間の皇子に位をゆづり給ふべきを、えたもつまじきけしきを御覧じて譲り給はざりければ、怨み申して山野にゆきまどひ給ひて、岩代といへる所にいたりて松のえだを結びてよみ給へる歌なり。

   家にあればけにもる飯を草枕たびにしあればしひのはにもる

これもその程によみ給へるとぞかける。結び松の心はたむけといへる同じなり。松の葉をむすびてこれがとけざらむさきにかへりこむとちかひて結ぶなり。さてまさしくあらばとよむなり。

   白浪の濱松がえのたむけ草いくよまでにか年の經ぬらむ

松を結びて時にしたがひて、花をも紅葉をもいのりてたむくるなり。たむけ草といふはこれらを申すなり。有間の皇子かくの如くまどひありき給ふやうを聞きて世の人あはれがり申しけり。大寶元年に文武天皇と申すみかど、紀の國に幸し給ひて遊ばせ給ひける御ともに、人丸が侍りてかの皇子の結び給へる松をみてよめる歌

   後みむと君がむすべる岩代の小松がうれを又みけむかも

同じたび、よし丸がよめる歌

   岩代の岸の小松を結びたる人はかへりて又みけむかも

此頃の人はいはしろといふ所のあるとは知らで、うせたる人の塚なり。結び松といへるしるしにうゑたる木なり。



   いかにせむうさかのもりにみえすとも君がしもとの數ならぬ身を

これは越の中の國にうさかの明神と申す神の祭の日、榊のしもとして女の男したる數にしたがひて打つなり。女のその折になりて、禰宜に尻をまかせてふせり。禰宜しもとを持ちてをとこの數をとふ。数の如くにはじめのなべの如し。おほかる女は恥がましさにかくして少しをいへば、忽ちにはなぢあえてまさゞまに恥がましき事のあるなり。たゞし、古き歌の見えねばとしよりが歌をしばし書きてさふらふなり。

   東路の道のはてなる常陸帶のかごとばかりもあはむとぞ思ふ

是は常陸の國に鹿島の明神の祭の日、女のけさう人の數多あるときに、そのをとこの名どもぬのゝおびにかきあつめて、神の御前におくなり。それが多かる中にすべきをとこの名かきたるおびのおのづからうらがへるなり。それを取りて禰宜が取らせたるを女みて、さもと思ふをとこの名あるおびなれば、やがて御前にてうへのかけおびのやうにぞちかづくなり。それを聞きてをとこかこちかゝりて親しくなりぬ。



   足引の山鳥の尾のしだり尾のながながしよをひとりかもぬる

この歌は山鳥の尾をしもなど長きためしにはよめるにかと思ひてたづぬれば、山鳥といふ鳥のめをとこはあれど、よるになれば山緒をへだてゝひとつ所にはふさぬものなれば、よの長くたへがたく思ふらむとおしはかりしことは、さらむものをこそはたづぬよする上に、かれが尾は鳥のほどよりは長ければよめるなり。かく夜になればわかるゝいもせなれば、人の家には尾をだにも取入れぬなり。



   みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに亂れそめにし我ならなくに

これは河原の大臣の歌なり。しのぶもぢずりといへるは、みちのくにゝ信夫の郡といふ所に亂れたるすりをもぢずりといふなり。それをこのみすりけるとぞいひ傳へたる。所の名とやがてそのすりの名とをつゞけてよめるなり。遍照寺のみすのへりにそのすられてありしを、四五寸ばかり切り取りて故帥大納言の山庄の御簾のへりにせられてありしかば世の人皆けうぜし。

   わが心なぐさめかねつさらしなやをばすて山に照る月を見て

此の歌は信濃の國にさらしなの郡にをば捨山といへる山あるなり。むかし人の姪を子にして年来やしなひけるが、母のをば年老いてむつかしかりければ、八月十五日の月くまなくあかゝりけるに、この母をばすかしのぼせて逃げて歸りにけり。たゞ一人山のいたゞきにゐて夜もすがら月を見てながめける歌なり。さすがにおぼつかなかりければ、みそかに立歸りてきゝければ此歌をぞうちながめて泣き居りける。其後この山ををば捨山といふなり。そのさきはかぶり山とぞ申しける。かぶりのこじのやうに似たるとかや。

   かひかねをさやにも見しかけゝれなくよごほりくやるさやの中山

此歌けゝれなくとよめるは心なくといへることばなり。かの甲斐の國の風俗なり。よごほりくやるとは事のほかに高く長き山なれば、よごほりにはゞかりて甲斐のしらねをふたげて見せねばよめるなり。くやるといへること駿河の國のふせりといへることばなり。此さやの中山は遠江の國と駿河の國との中にある山なり。



   夏雁の玉江のあしをふみしだき群ゐる鳥のたつ空ぞなき

玉江とは越前の國にある所なり。蘆は秋かるものなるを、とく刈る程になりぬる蘆を夏刈りてきてつみおきたるがうへに鳥のむれゐるなり。たゞの江といふなり。水ある江にはあらず。夏刈りとは初めの五文字かりがねの夏まであるをいふぞともいひし、かりをよむぞともいへる人もあり。皆ひが事にこそ聞ゆれ。かりがねならば末にむれゐる鳥といはむにもあしく聞えぬ。又しゝがりのにはかにいでこむにも心得ず。これらが沙汰にこそ心えぬ人、心うる人は見ゆめれ。



   みちのくの淺香の沼のはながつみかつみる人に戀しきやなぞ

かつみといへるはこもをいふなり。かやうの物も所の名も所にしたがひてかはれば、伊勢の國あしをば濱荻といへるが如くに、陸奥國にはこもをかつみといへるなめり。五月五日にも人の家にあやめをふかで、かつみふきとてこもをぞふくなる。かの國にはむかし菖蒲のなかりけるとぞ承りしに、このごろは淺香の沼にあやめをひかするは僻事とも申しつべし。

   花がつみめならぶ人のあまたあれば忘られぬらむかずならぬ身は

これはかく申すまじけれど、はじめの歌にまぎるれば、かきて侍るぞ。このはながつみは、花などつみいるゝこなめり。



   武藏野はけふはなやきそ若草のつまもこもれり我もこもれり

此歌も伊勢物語に、男をんなをぬすみて武藏野をゆくに、この野は盗人こもりたりとて野をやかんとしける時よめりとかけり。



   春のよのやみはあやなし梅のはな色こそみえねかやはかくるゝ

あやなしといへる事はやくなしといへることばかりとぞ此歌の心にてはきこゆるを、ふたむら山も越えず來にけりといへる歌は、あやなくに戀しかりしかばとよみたるなめりとみゆ。これらを見ればとまかうも申すべきにや。



   時鳥なくや五月のあやめぐさあやめもしらぬ戀もするかな

あやめも知らぬといふ事は、常に人のいひならはしたる詞なり。よしあしもしらずといふことばなれば、如何にもこと事もおぼえずとよめるなり。菖蒲をあやめと云ふ事はかの菖蒲の名にはあらず。あやめといふはくちなはのひとつの名なり。そのくちなはに似れば菖蒲をあやめと申せば、たゞあやめとよみて草とつゞけずは、たゞくちなはをよめる歌にてぞあるべきに、猶菖蒲をよむべきにては、あやめ草とぞつゞくべきと申す人もありけり。あやめ水あむといへる事のある、さもある事にや。この後あやめの歌をもとむる、ことに見えず。



   最上川のぼれば下るいなふねのいなにはあらずしばしばかりぞ

此歌は出雲の國にある川なり。殊の外にはやき河にて四五日ばかりにのぼるなる川をくだれば、唯ひと時に下る。さればのぼりざまにはかしらをふりてのぼりがたければ、いなふねとは申すにや。稲つみたるふねをいふぞなど申す人もあるにや。



   大江山生野のさとの遠ければふみもまだ見ず天の橋立

是は小式部の内侍と云へる人の歌なり。ことのおこりは小式部の内侍は和泉式部がむすめなり。親の式部が、保昌がめにてに丹後にくだりたりける程に、都に歌合の有りけるに小式部の内侍歌よみにとられてよみける程に、四條中納言定頼といへるは、四條大納言公任の子なり。其人のたはぶれて、小式部の内侍の有りけるに、丹後へつかはしけむ人は歸りまうできにけむや、いかに心もとなくおぼすらむとねたがらせ申しかけて立ちければ、内侍御簾よりなから出でゝわづかに直衣の袖をひかへて、この歌をよみかけゝれば、いかにかゝるやうやはあるとて、ついゐて此歌のかへしせむとて暫しは思ひけれど、え思ひえざりければ、ひきはりにげにけり。是を思へば、心とくよめるもめでたし。

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