小倉百人一首の歌「立ち別れいなばの山のみねにおふるまつとし聞かば今帰り来む」で知られる。 平城天皇皇子の阿保親王の子。在原業平の兄。 天長3年(826年)、阿保親王の奏請により兄弟と共に在原朝臣姓を賜与され、臣籍降下する。 天安3年(859年)正月13日、播磨守。理由は明らかでないが文徳天皇のとき須磨に蟄居を余儀なくされたという。 |
田むらの御時に、事にあたりてつのくにのすまとい ふ所にこもり侍りけるに、宮のうちに侍りける人に つかはしける
在原行平朝臣 |
わくらばに問ふ人あらばすまのうらにもしほたれつゝわぶとこたへよ |
おはすべき所は、行平の中納言の藻塩たれつつわびける家居近きわたりなりけり。 須磨には、いとど心づくしの秋風に、海はすこし遠けれど、行平の中納言の、関吹き越ゆると言ひけん浦波、夜々はげにいと近く聞こえて、またなくあはれなるものはかかる所の秋なりけり。
『源氏物語』(須磨) |
わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶと答へよ |
立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り求む |