明治25年(1892年)1月15日、東京市牛込区牛込払方町(現:東京都新宿区払方町)で生まれる。 昭和2年(1927年)、西條八十は下関駅(旧下関駅)で金子みすゞと会う。 昭和6年(1931年)、早稲田大学応援歌「紺碧の空」誕生。 昭和8年(1933年)、「東京音頭」(作曲:中山晋平)。 昭和13年(1938年)9月、陸軍の要請により音楽部隊の隊長として中支戦線に従軍。隊員に古関裕而がいた。 昭和14年(1939年)11月、西条八十は皇紀2600年を前に神武天皇ゆかりの宮崎神宮・高千穂峡・美々津港等を訪れる。 昭和18年(1943年)6月、古関裕而等と霞ヶ浦へ出張。 昭和19年(1944年)1月26日、下館に疎開。 昭和21年(1946年)6月5日、下館音頭を作詞。 昭和24年(1949年)、映画『青い山脈』の主題歌として「青い山脈」(西條八十作詞)発表。 昭和26年(1951年)4月、小奴の経営する角大旅館に立ち寄る。 昭和26年(1951年)4月、啄木の墓を訪れ、即興詩を作る。 昭和35年(1960年)3月26日、下田に西条八十の歌碑建立。 昭和36年(1961年)11月、「王将」発売。 昭和37年(1962年)、「岩惣」に泊まる。 昭和44年(1969年)、川越小唄の碑建立。 昭和45年(1970年)8月12日、逝去。 |