明治23年、柳田國男は次兄の通泰をたよって上京。國男16歳のときである。通泰を通して森鴎外に紹介される。 明治24年、開成中学校に編入学。田山花袋と知り合う。 明治26年、第一高等中学校入学。 明治28年、『文学界』に新体詩を発表。島崎藤村と出会う。明治31年4月5日、島崎藤村は銚子から布佐の柳田國男を訪ねる。 明治31年の夏、柳田國男が大学生の頃、網元の離れ座敷を間借りして伊良湖に1ヶ月余り滞在、恋路ヶ浜を散策中に椰子の実を拾った。その話を島崎藤村に語ったところ、それが素材となって「椰子の実」の詩が生まれたという。 明治43年(1910年)、『遠野物語』発表。 |
大正14年(1925年)7月2日、永井荷風は偶然柳田國男に会う。 |
松莚子直助權兵衞の役夕五時頃より出場との事なり。共に木挽町に徃き七時頃獨風月堂に至る。偶然柳田國男氏の來るに會ふ。此夜月明に風涼し。
『斷腸亭日乘』大正11年(1922年)12月18日 |
昭和37年(1962年)8月8日、死去。享年88。 |