嘉永3年(1850年)、ギリシアのレフカダ島に生まれる。 明治24年(1891年)11月、旧制五高教師を務める。 明治27年(1894年)、神戸市のジャパンクロニクル社に就職、神戸に移住。 明治29年(1896年)、東京帝国大学文科大学の英文学講師に就職。日本に帰化し「小泉八雲」と名乗る。 明治33年(1900年)、島根県尋常中学校(現:島根県立松江北高等学校)と島根県尋常師範学校(現:島根大学)の英語教師に任じられる。 明治35年(1902年)、市谷冨久町から大久保に居を移した。 明治37年(1904年)3月、早稲田大学の講師を務める。 明治37年(1904年)9月26日、54歳で没。雑司ヶ谷霊園に墓碑がある。 平成16年(2004年)9月25日、没後百年祭を記念して五高記念館の入口にラフカディオ・ハーン(小泉八雲)レリーフ建立。石原昌一制作 |