幼名、阿古久曽(あこくそ)。『古今和歌集』の撰者。また『土佐日記』の作者、『新撰和歌集』の編者でもある。古今集序や土佐日記によって仮名文字の道を開いた。 |
延喜5年(905年)、『古今和歌集』を撰上。 延長8年(930年)、土佐守に任じられる。醍醐天皇の勅命により『新撰和歌集』を編纂。 承平5年(935年)、帰京。 天慶8年(945年)、卒去。 |
はつせにまうづるごとに、やどりける人の家に、ひ さしくやどらで、程へて後にいたれりければ、かの 家のあるじ、かくさだかになむやどりはあると、い ひいだして侍りければ、そこにたてりける梅の花を をりてよめる ひとはいさ心もしらずふるさとは花ぞむかしのかににほひける よしのがはの邊(ほとり)に山ぶきのさけるをよめる 吉野河岸の山吹ふく風にそこの影さへうつろひにけり きた山にもみぢお(を)らんとてまかれりける時によめる みる人もなくてちりぬる奥山のもみぢばはよるの錦なりけり 冬のうたとてよめる 雪ふれば冬ごもりせる草も木も春にしられぬ花ぞさきける いその神ふるのなかみちなかなかにみずはこひしとおもはましやは 土佐よりまかりのぼりける舟の内にて見侍け るに、山の端ならで、月の浪の中より出づる やうに見えければ、昔、安倍の仲麿が、唐に て、「ふりさけ見れば」といへることを思や りて 宮こにて山の端に見し月なれど海より出でて海にこそ入れ |