松根家の遠祖は奥州の勇将最上義光であり、その子光広が庄内の松根に城を移し、名字を改めて松根備前守となったと伝えられている。 |
本名豊次郎。俳号東洋城は豊次郎をもじったもの。宮内省に勤務、父は宇和島藩城代家老。 |
明治11年(1878年)2月25日、松根権六(宇和島藩城代家老)の次男として東京の築地に生まれる。 明治23年(1890年)10月、父権六が大洲区裁判所判事として大洲に赴任するのに伴い大洲尋常高等小学校に転校。 明治25年(1892年)、松山の愛媛県尋常中学校(のちの松山中学校)に入学。 明治28年(1895年)、夏目漱石が英語教師として松山中学校に赴任。 明治30年(1897年)、愛媛県尋常中学校を卒業。 明治43年(1910年)8月6日、夏目漱石は門下生松根東洋城の案内で修善寺温泉の菊屋旅館(別荘)を訪れた。 大正4年(1915年)、俳誌『渋柿』を創刊。 大正5年(1916年)12月9日、夏目漱石没。 |
昭和8年(1933年)、「大洲旧居」に立ち寄る。 昭和26年(1951年)、今治市の法華寺に檜垣括瓠の句碑を建立。 昭和29年(1954年)、日本芸術院会員。 |
松根東洋城先生、日本藝術院に入る。 寒凪のたまたまかすみわたりけり |
昭和39年(1964年)3月19日、宇和島真珠貝供養塔除幕式。松根東洋城の句が刻まれている。 |
昭和39年(1964年)10月28日、87歳で死去。宇和島市の大隆寺に墓碑がある。 |