明治5年(1872年)2月17日、筑摩県第八大区五小区馬籠村(現在の岐阜県中津川市馬籠)に生まれる。 明治14年(1881年)9月、9歳の時に上京し、姉の嫁ぎ先の高瀬家から泰明小学校に通った。 明治20年(1887年)9月、明治学院普通部本科に入学。 明治24年(1891年)6月、明治学院を卒業。 明治25年(1892年)10月、明治女学校の教師となる。 明治26年(1893年)1月、教え子との恋愛に悩み教職を辞す。 明治26年(1893年)2月1日、関西を放浪。 明治26年(1893年)2月23日、島崎藤村は高知を訪れ、馬場孤蝶の自宅に4泊した。 明治27年(1894年)4月、明治女学校教師に復職。 明治29年(1896年)9月、東北学院の英語と作文の教師として仙台に赴任。 明治31年(1898年)4月5日、銚子から布佐に住む柳田国男を訪ねる。 明治32年(1899年)4月上旬、小諸義塾に英語、国語の教師として迎えられる。 大正7年(1918年)、麻布飯倉片町に居住。 昭和3年(1928年)11月3日、56歳で加藤静子と再婚。 昭和10年(1935年)11月26日、国際ペンクラブの日本センターとして日本ペンクラブ創立。初代会長島崎藤村。 |
島崎藤村の名義にてペンクラブとやら稱する文士會合の集團に加入の勸誘状來る。辭退の返書を送る。 |
昭和12年(1937年)、東京市麹町区下六番町に転居。 昭和16年(1941年)1月14日、大磯町の左義長を見る。 昭和16年(1941年)2月、大磯町に疎開。 昭和18年(1943年)8月22日、71歳で逝去。 |
藤村先生を悼む 大比叡の影黒黒と見ゆる夜を藤村先生死にたまひけり |