旅のあれこれ
『利根川図志』(赤松宗旦)
布施は江戸より松戸小金を經て、水海道へのゆくてなり。田中に孤山あり。古は湖中の島なりとぞ。辨財天を祀る、東麓に窟(いはや)あり。別當を紅龍山松光院東海寺といふ。眞言宗常陸ノ國大塚護持院末なり。寺寳に蟠龍石あり。此處は關東三辨天の一にして、詣人羣集し、戸頭の渡舟を望み、曙山の櫻楓を眺めて、頗る勝景と稱するに足れり。 |
江戸より水戸に行くの官道にして、地名は山の上に大鹿氏の砦有りしに因れるなるべし。此處の聞人澤近嶺の家は新町に在り。油屋與兵衛といふ。 |
地藏堂の西に在り。その間路の左右に乾隍(からほり)の迹あり。さればこの地、城の大手なるべし。境内に空居心經碑あり。又ここの地に於て毎年八月十日、祭禮相撲ありていと賑へり。 |
香取神宮一の鳥居水中に建てり。(是より香取へ陸十六丁)。三社参詣の人、この河岸より上り神宮へ參詣す。津宮の名義は、當所に竈神社といふありて、香取志に、奥津彦神・奥津姫神を祭れり。此神は古事記に、須佐之男命の孫大年神の子なり。延喜式に、竈神仁座、従五位上大邑刀自、次に小邑刀自云々。やしろをもと津宮といふ。 |
下總國香取郡、正殿經津主大神、神代よりの御鎮座にていと古き神なり。事は香取志に詳かなれば略レ之。 |
二町目より入る。馬場の兩がは松の並木、山門に十六羅漢を安置す。佛殿は南向十間四面、右大將殿の建立なり。堂のかたはらに臥龍松、前に文治梅あり。 |
常陸國鹿島郡鹿島郷、正殿武甕槌神(たけみかつちのみこと)、相殿神、右は經津主命、左は天兒屋根命を祭れり。
神代の昔より、この所に鎮座(しづまりまし)し大神にて、いともいともふるき事なり。風土記に、淡海大津朝(天智天皇なり)初遣二使人一造二神之宮一自レ爾以來、修理不レ絶云云としるせり。猶委しき事は鹿島志に詳かなれば略す。 萬葉集に 霰降鹿島の神を祈りつゝ皇御軍(すべらみくさ)に我はきにしを |