『小倉百人一首』の歌「来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くやもしほの身もこがれつつ」で知られる。 |
来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに |
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焼くやもしほの 身もこがれつつ |
後鳥羽院の院宣により源通具・六条有家・藤原定家・藤原家隆・飛鳥井雅経・寂蓮の6人が『新古今和歌集』撰者に定められた。 |
承久4年(1222年)8月16日、辞参議。 寛喜4年(1232年)正月30日、権中納言。 貞永元年(1232年)、後堀河天皇から勅命を受け、文暦元年(1234年)に藤原定家が『新勅撰和歌集』撰定。 |
世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎吾ガ事二非ズ。
『明月記』 |
道より西に佐野村あり。佐野舟橋を渡せし川有。名所也。古歌多し。舟橋をつなぎし木なりとて、近き比まで有しと云。今はなし。佐野源左衛門恒世が舊宅も佐野に有。定家の森、定家の明神有。名所にはあらず。 |
名所歌たてまつりける時 秋とだに吹あへぬ風に色かはる生田の森の露の下草 名所歌たてまつりける時 移りあへぬ花の千種にみだれつゝ風の上なる宮城野の露 前参議に侍ける時、布引の滝見に罷りてよみ侍ける 音にのみ聞きこし滝も今日ぞ見る在りて憂き世の袖や劣ると 下野国にまかりける人に 立ち添ひてそれとも見ばや音に聞く室の八島のふるき煙を |
題しらず 山里は蝉のもろ聲秋かけて外面の桐の下葉おつなり |