明治4年(1872年)12月23日、金沢市横山に生まれる。 明治27年(1894年)、尾崎紅葉の門に入る。 大正14年(1925年)、作家山田順子は徳田秋声の愛人となる。 |
徳田秋聲新妻門生等を携へて來るを見る。秋聲子の新夫人はもと画工の竹久夢二の妻にて淫蕩の噂かくれなき美人なり。秋聲子が繼妻を迎へし事は其作れる小説を見れば明なり。
『斷腸亭日乘』(大正15年11月6日) |
昭和13年(1938年)、日本文学振興会が菊池寛賞制定。 昭和14年(1939年)、徳田秋声の『仮装人物』が第1回菊池寛賞。 |
地下鐵社内にて偶然高橋邦太郎氏に逢ふ。近年文壇に賞金の噂多し。菊池寛賞と稱するもの金壹千圓此度徳田秋聲之を受納せしと云ふ。高橋君の談なり。余は死後に至りても文壇とは何等の關係をも保たさゞ(ママ)らむことを欲す。余が遺産の處分につきては窃に考るところあり。今は言はず。
『斷腸亭日乘』(昭和14年3月10日) |
昭和17年(1942年)、日本文学報国会小説部会長に就任。 昭和18年(1943年)11月18日、本郷区森川町(現:文京区本郷)の自宅で死去。享年73歳。 |
電車乘換えの際金兵衞の門口を窺見るに凌霜清潭齋藤氏等來り居たれば入りて倶に夕餉を喫す。人々の語るをきくにコ田秋聲行年七十三を以て昨日病歿せしと云。
『斷腸亭日乘』(昭和18年11月18日) |