宝治2年(1248年)7月25日、奉勅。 |
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建長3年(1251年)10月27日、奏覧。 |
続後撰和歌集巻第一 春歌上 年の内に春立つ心をよみ侍りける
皇太后宮大夫俊成
年のうちに春立ちぬとや吉野山霞かゝれるみねのしら雲続後撰和歌集巻第四 夏歌
藤原実方朝臣
都には聞き旧(ふ)りぬらんほとゝぎす関のこなたの身こそつらけれ返し
よみ人しらず
ほとゝぎす勿来の関のなかりせば君が寝覚めにまづぞ聞かまし
皇太后宮大夫俊成
鳴滝や西の川瀬に御祓(みそぎ)せん岩こす浪も秋や近きと続後撰和歌集巻第五 秋歌上 名所歌たてまつりける時
前中納言定家
秋とだに吹あへぬ風に色かはる生田の森の露の下草名所歌たてまつりける時
前中納言定家
移りあへぬ花の千種にみだれつゝ風の上なる宮城野の露続後撰和歌集巻第十一 恋歌一 百首歌よみ侍けるに、忍恋
殷富門院大輔
難波女がこやに折り焚くしほれ葦の忍びに燃ゆる物をこそ思へ女の葦の八重葺きと書けりける手習を見て、書き添へ侍ける
源重之
葦の屋の昆陽の篠屋の忍びにも人に知られぬ節を見せなん続後撰和歌集巻第十二 恋歌二 題しらず
よみ人しらず
しほがまの浦とはなしにきみ恋ふる煙も絶えずなりにける哉陸奥の千賀のしほがま近ながらからきは人に逢はぬなりけり
源家長朝臣
白波のあら井のさきの磯馴(そなれ)松かはらぬ色の人ぞつれなき浮名のみ雄島の海人の濡れ衣寝(ぬ)るとな言ひそ朽ちは果つとも 建保二年内大臣家百首歌、名所恋
前中納言定家
世とともに吹上の浜の潮風になびく真砂のくだけてぞ思ふ
前参議忠定
恋死なば室の八島にあらずとも思(おもひ)のほどはけぶりにも見よ続後撰和歌集巻第十三 恋歌三
山口女王
我が思ふ心もしるく陸奥の千賀のしほがまちかづきにけり続後撰和歌集巻第十六 雑歌上 前参議に侍ける時、布引の滝見に罷りてよみ侍ける
前中納言定家
音にのみ聞きこし滝も今日ぞ見る在りて憂き世の袖や劣ると名所歌召しけるついでに
後鳥羽院御製
布引のたきの白糸うち延(は)へてたれ山かぜにかけて乾(ほ)すらん布引滝をよみ侍ける
従二位頼氏
天の川雲の水脈(みを)より行く水のあまりておつる布引のたき続後撰和歌集巻第十七 雑歌中 題しらず
後鳥羽院御製
人も愛(お)し人も恨めしあぢきなく世を思ふゆゑにもの思ふ身は続後撰和歌集巻第十八 雑歌下
順徳院
百敷や古き軒端のしのぶにも猶あまりある昔なりけり続後撰和歌集巻第十九 羈旅歌 下野国にまかりける人に
前中納言定家
立ち添ひてそれとも見ばや音に聞く室の八島のふるき煙を返し
蓮生法師
思ひやる室の八島をそれと見ば聞くに煙の立ちやまさらん初瀬に詣でける道にてよみ侍ける
菅原孝標女
行方なきたびのそらにも遅れぬはみやこを出でし在明の月神無月のころ東の方へまかりけるに、夜の中山にて時雨の しければよめる
蓮生法師
甲斐が嶺ははや雪白し神無月しぐれて越ゆる小夜の中山箱根に詣づとて
鎌倉右大臣
箱根路をわが越え来れば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ名所百首歌たてまつりける時
僧正行意
藤代のみ坂を越えて見わたせばかすみもやらぬ吹上の浜 |