元治元年(1864年)8月18日、上総国武射郡殿台村(現:千葉県山武市)に生まれる。 明治33年(1900年)、正岡子規に入門。 明治39年(1906年)1月『野菊の墓』が『ホトトギス』に載る。 明治39年(1906年)4月5日、俳書堂から『野菊の墓』出版。中村不折が口絵を描いた。 明治41年(1908年)5月2日、石川啄木は与謝野鉄幹に連れられて観潮楼歌会に出席。初めて伊藤左千夫と逢う。 |
左千夫は所謂根岸派の歌人で、近頃一種の野趣ある小説をかき出したが、風采はマルデ田舎の村長様みたいで、随分ソソツカしい男だ。年は三十七八にもならう。 |
明治42年(1909年)、土屋文明は伊藤左千夫を頼って上京、「アララギ」に参加する。 大正2年(1913年)7月30日、脳溢血のため48歳で没。 大正10年(1921年)7月10日、普門院で伊藤左千夫の九回忌。 |
左千夫先生九回忌 七月十日於龜戸普門院 逝きましてはや九年(ここのとせ)になるといふ御寺の池に蓮咲かんとす |