旅のあれこれ
秋山真之ゆかりの地
秋山兄弟生誕地一組の兄弟をえらんだ。 すでに登場しつつあるように、伊予松山のひと、秋山好古と秋山真之である。この兄弟は、奇蹟を演じたひとびとのなかではもっとも演者たるにふさわしい。
司馬遼太郎著『坂の上の雲』 |
慶応4年(1868年)3月20日、松山城下の中徒町(現:松山市歩行町)に松山藩の下級武士秋山久敬の五男として生まれる。 明治19年(1886年)、海軍兵学校に17期生として入校。 明治28年(1895年)、江田島の海軍兵学校にいた秋山真之は、正岡子規の病状を見舞うために松山に帰省。 明治37年(1904年)、海軍中佐・第1艦隊参謀(後に先任参謀)となる。 大正6年(1917年)、中将昇進と同時に待命となる。 大正7年(1918年)2月4日、秋山真之は小田原の「対潮閣」(山下亀三郎別邸)で盲腸炎が悪化して亡くなった。 大正14年(1925年)、「秋山中将像」を製造。 昭和6年(1931年)7月、石手寺境内に秋山真之の銅像を建立。 昭和43年(1968年)9月、秋山真之の銅像を梅津寺公園に移転。 |