小倉百人一首の歌「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」で知られる。 |
長徳元年(995年)正月、実方は陸奥守となり、9月陸奥へ赴任。 |
實方朝臣、みちのくにへくだり侍りけるに、餞 すとてよみ侍りける |
中納言隆家
別路はいつも歎きのたえせぬにいとゞかなしき秋の夕暮 |
返し |
實方朝臣
とゞまらん事は心にかなへ共いかにかせまし秋のさそふを |
長徳4年(998年)、阿古耶の松を訪ねた。 |
陸奥の國にまかりたりけるに、野の中に常よりもとおぼしき塚の見えけるを、人に問ひければ、中將の御墓と申は是が事なりと申ければ、中將とは誰がことぞと、又問ひければ、實方の御事なりと申ける、いとかなしかりけり。さらぬだに物哀に覺えけるに霜枯れ枯れの薄、ほのぼの見えわたりて、のちに語らんも言葉なきやうにおぼえて |
朽ちもせぬその名ばかりを留め置て枯野の薄形見にぞ見る |
都には聞き旧(ふ)りぬらんほとゝぎす関のこなたの身こそつらけれ |