明治6年(1873年)5月17日、秋田県河辺郡戸米川村(現在、雄和町)に生れる。
明治26年(1893年)、旧制秋田中学中退後、上京。正岡子規に師事し、新聞「日本」の記者となる。
明治27年(1894年)、帰郷。
明治32年(1899年)、京都東山病院の医員を務める。暮に帰郷して村医となる。
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夏羽織露月は醫者になりにけり
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明治33年(1900年)3月、島田五空と俳誌「俳星」を発行。
明治40年(1907年)7月21日、河東碧梧桐は秋田に着く。露月が来る。
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午後露月山中を出て来た。相会するのも八九年目である。依然として顔は円い。南瓜道人としておる。ただ山中におるだけ、南瓜のキメが少々荒くなったようである。
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亦楽しからずや蚊遣に君も在焉(あり)
| 露月
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子規のことを語る悲しさ涼しさよ
| 碧梧桐
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次いで五工も能代から走(は)せつけた。夜になって、横手の百花羞も会した。座に北涯なきを同音に憾む。
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昭和2年(1927年)5月8日、能代俳句大会。
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春を惜め同じ流れの季吟門 露月山人
昭和3年(1928年)9月18日、石井露月没。
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九月十八日。石井露月逝く。
糸瓜忌の一日前の南瓜佛
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横手市の金澤八幡宮に石井露月の句碑句碑がある。

城祉の
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近きに家す
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青簾
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仙北市の田沢湖畔に石井露月の句碑がある。

波打越しぬ
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秋と云ヘバ
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御座の石
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大仙市の唐松神社手水鉢に石井露月と安藤和風の句が併刻されている。

蝉すずし神威に息をととのえる
| 露月山人
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千木高し唐松山のほととぎす
| 和風 |
昭和52年(1977年)9月19日、俳星700号を記念して能代公園に「俳星碑」を建立。
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材木や米代川の秋の風
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